■荻原先生講演会レポ(港北文庫のつどい)■




2010年10月15日に横浜市港北図書館内会議室で開催された 「港北文庫のつどい-荻原規子先生講演会」のレポです。 以前、シンポジウムのレポをあげておりますが、あちらが古事記メインだったのに 対し、今回は「ファンタジーの魅力」というテーマで、ファンタジーについて 語ってくださった部分が多いです。 自分のメモ(A5ノート22ページ分)をべた打ちしていますので、読みにくかったらすみません。 腱鞘炎になるかもぐらいの勢いでメモをとったのですが、あくまでメモなので、 荻原先生の表現と少し違った表現をしている可能性もありますのでご了承ください。 講演会に参加できなかった方に、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
■荻原規子先生講演会   2010年10月15日(土)10:00~11:30  横浜市港北図書館内にて  講演60分「ファンタジーの魅力」  質問30分  受講料 3500円(その他の方の講演回分も含み一律) 講演会の1週間前からすでに緊張してきていた私。 しかも、講演会当日の朝に、HPをよく読んだら、90分の講演ではなく、 最後の30分は質問の時間になるとのこと。 「なに質問しよう・・・質問したいことは山のようにあるけど、  本好きの主婦の方とかが中心の集まりで変な質問したらイタタちゃんにも  ほどがあるし・・・」 と悩みまくりながら会場へGO。 会場図書館は、JR菊名駅から徒歩5分くらい? 住宅街の中にありました。  会場は図書館2階の小会議室で、定員60名とのことでした。 受付開始直後に行った私。 まだ5人くらいしか来ていなくて席は選び放題。 控えめに後ろの方に座ろうか?とも思ったのですが、 (実際、私以外の方はけっこう控えめな場所を選んでらしたような・・・)、 後悔のないように生きようと思い、最前列へ着席。(ほんとすいません) ただ、最前列で荻原先生を凝視していたら先生がお話しされにくいかもと 変なのところには気を使い、先生を見過ぎないように気をつけてみたり。。。 (まあ、実際、鬼のようにメモとりまくっていたのであんまり見ていない、はず) 机はなく、会議室にびっしり椅子を並べた状態。 かなり満員御礼だったような気がします。 港北文庫のつどいの方のご挨拶の後、館長さんの挨拶。 そして、荻原先生がご登壇されました。 港北図書館&港北文庫のつどいは30周年、そして国民読書年。 そして徳間文庫30周年で勾玉三部作文庫化。 そういうご縁で今回の荻原先生の講演会が実現したそうです。 (荻原先生がお仕事されていたときから依頼はあったそうで、  それがついに今年実現したそうです) 荻原先生は、徳間文庫の著者写真の雰囲気のままで、お元気そうに見え、 にこにこしてらっしゃいました。 ・なぜ日本神話のファンタジーを書こうとしたか。 ・読書体験。図書館少女。小中学生の時は図書館に通って本を読んでいた。 ・ファンタジーとの出会いは、小学校の図書室にあったナルニア国物語。  初めて出会ったのは小学2年生。  原作を読んだのは4年生。よそにはない変わった話だと思った。 ・神話、昔話、童話。  ギリシア神話やグリム童話なども楽しんで読んでいた。 ・特に好きだったのは、動物が主人公のもの。シートン動物記や  ジャック・ロンドンの「荒野の呼び声」など。 ・少年少女が主人公のものも好きだった。 ・ナルニア国物語は、自分の好きな「動物が主人公」「少年少女が主人公」という、  好きなものが一緒くたなのがおもしろい。(ここで荻原先生ニッコリ) 開けていた窓の外でトラックがバックするときの「プープープー」という音が続き、 荻原先生が「何の音ですか?」と司会の方に尋ねる。 防犯ブザーか非常ブザーと思われたのかな? あたりを見回してかわいらしい動きをしておられて、個人的に癒されましたv ・神話などちょっととっつきにくいのが、少年少女が主役だと読みやすい。  しかも、ナルニアには「ものを言う動物」がいるのがよい。(ここで荻原先生満面の笑顔) ・普通の冒険物語とは違うところがあるのはなぜだろう。 ・ナルニアは、普通の冒険のように見えて、神話と同じような根本的なところでの冒険と感じた ・これから高校受験という時、逃避気分でナルニアをまた読んでみた。  子どもの気持ちに戻って。  すると、「子どもの本じゃない」「子どもをバカにして書かないからこれが書ける」  ということをすごく感じた。大人への不信感もある時代。 ・高校に入り、子どもと共有できる真剣な何かを感じた。  ファンタジーの翻訳がたくさん出てきて、それを読んだ。 ・当時の日本では、ファンタジーはあまり読まれていなかった。  日本のファンタジーは、社会的児童文学が多くて、ファンタジーの形を  とっていながら社会的な何かを訴えていると言うか、教訓というか、  社会に目が向いているものが多くて、  外国のものとはちょっと違うと思った。  外国のものは根底に神話がある。 ・ファンタジーは社会とかではなく、もっと根本的なものに結びつくもの。  私たちが娯楽として語りたいパターンというのも、全部そこに向かっていくもの。 ・大学ではファンタジーとは何かを研究したかった。  自分で書こうとはまだ思っていなかった。 ・ファンタジーとは何かと思い、児童文学論を読んでみたが、納得できなかった。  ナルニアに対して、自分が小学生の時に感じた気持ちを教えてくれる  論文がどこにもない。  自分で探すことにする。 ・ユングなどの心理学、深層心理学、精神分析学の本を読んだ。  昔話を使ってののアプローチ。  ベッテルハイムの「昔話の魔力」フロイト理論をグリム童話にあてはめ、など。  神話学、精神分析学の方が、自分の知りたかったものにすごく近いと思って読んでいた。 ・卒論は児童文学で書いたが「たどり着けない」と思った。  論文を書くのは苦手だったんだと(ここで荻原先生笑顔) ・空色勾玉のあとがきでルイスの言葉(自分の一番読みたいものは自分で書くしかない)  を引用したが。  いろいろな本を読んでいるうちに「自分はこういう本が読みたい」とわかってくる。  そのような自分の感覚に一番フィットするものは自分で書くしかないかな、とわかった。  書ける才能があるかはわからないので、一生の趣味にしようと思っていた。  ファンタジーで食べていけるとは思わなかった。作家になろうとは考えなかった。 ・それらは、全部英米の作品で学んだこと。  日本ではそれはできない(ファンタジーは成功しない)のではと言われていた。  日本の作家が書いたものだとなぜか違う。  素養や文化が違う?と思った。 ・古典が好きで、最初に読んだのは枕草子。与謝野晶子の訳で、小学校高学年の時。  宮廷生活の描写が好きで、あまりに自分たちと違う。  清少納言は、蚊が顔のまわりをぷーんと飛ぶのが嫌だとか、縫い物をしていて  玉結びを忘れて引っ張ったら全部抜けちゃったとか、おもしろい。  それがファンタジーに感じた。  あまりに自分たちと違う生活なのに、近い感覚。 ・古文の授業がうれしかった。いやじゃない。すんなり読めた。  その分、英語は苦手だった。慣れなかった。  古文が得意になろうとしていないのに得意と思った。 ・教育学部だったので、一通りはやるように言われる。   必須科目の古事記の授業(うえだ先生)  古事記の原文がとてもおもしろかった。  小学生のとき名作文庫で読んだ。  原作で読むと、古事記がどれだけオリジナルかがわかる。  神様の名前でいろいろわかる(神様の名前だけで1年の講義が終わった) ・2年前に古代文学会のシンポジウムに出た。  三浦祐之先生と一緒に(三浦しをんさんのお父様です)  「口語訳古事記」 文庫も出た  古事記をおじいさんが語っているようにしている。  おじいさんの感想が三浦先生の意見の部分で、すごくおもしろい。  おもしろさがしをんさんの文のおもしろさに似ている。 ・しをんさんとの対談で、「父が空色勾玉を買ってきて、それを読んだ」と  聞いてうれしかった。(荻原先生うれしそうにニッコリ) ・シンポジウムの時には、三浦先生は、古事記と日本書紀がどこが違うか、  表にして対比。  出雲神話が日本書紀には入っていない。因幡の白うさぎなど。  大国主の国譲りの話なども、日本書紀では扱いが小さい。言いたくない話。   ・征服された側の話もあるのが古事記。  出雲系の神々が出てくる話はすごくおもしろい。 ・古事記と聞くと、天皇家の正当化のためのものとかそういうイメージの時代もあった  そのための抵抗感がある?  でも、天皇家の出てくる前の話もあるし、うまく読めばいろいろ見えてくる ・中沢新一さんの「縄文聖地巡礼」 ・出雲神話に注目、出雲だけでなく諏訪辺りまで含む?  天皇家の前のすべてがよくわかる気がした。  古事記が自分にとって大事なのはそちらかも。 ・ファンタジーは好きで、自分の地元で勝負したいと思った。  西洋ファンタジーは私たちにフィットしないものもある。  ステレオタイプのものは、ゲームの形。  光と影で、光が勝たないといけない、悪は根絶しないといけない。善悪二元論。  それに対し、古事記は違う。スサノオやヤマトタケルなど、だまし討ちで終わり。  きれいにしないまま残している。  私たちの読める形にする→ファンタジー  根源にあって、善悪に分かれていないもの。  その方が真実に近いもの。  そんなファンタジーがおもしろい。 ・最初はなかなか書けなかった。  最初は西魔女の試作品のようなものを書いた。  西魔女といっても、いま出版している西魔女はあくまで後継者。  当時書いていたものは、中身は白鳥異伝、舞台は西魔女という感じだった。  白鳥と西魔女の2作品は、読んだ人も底の方でパターンが同じと思うと思う。 ・ファンタジーの発祥が西洋にあるのは否定できないが、西魔女を書きながら思った。  「やっぱり私はアジアのこのはじっこにいる」 ・西洋、たとえばイギリスの人は、自分の土地を愛して、自分の土地の風光明媚を愛し、  自分の土地の食べ物を愛し、作品にもすごく愛して書く。  父が子にそのように語っている。  愛しすぎてどこでもそれを貫こうとして、帝国主義でインドに行ったりしても、  自国の文化をそのままやる。世界のどこでも朝はハムエッグみたいな(笑)  でも、彼らの「自分の土地の愛し方」は学べるところがあると思った。 ・ハリー・ポッターも、寄宿舎というのがイギリスに根付いているから、  ホグワーツ魔法学校の話などが学校ものとして厚みをもっている。 ・自分たちの持っている厚みを武器にしないと、  ファンタジーはどれも似た話になる。根源のことだから。 ・イギリスの話と同じことをしてもだめだと、書いて書いてしてみてわかった。 ・大学で一つ下の友人、上村さん。  上村さんが福武書店に入社したのは、福武書店が始めて児童書に参入というとき。  上村さんは既存の英米ものをもっと日本に紹介したいという思いをもっていたが、  新規参入なので、ユニークな試みとして新人作家を探していた。  その話を友人として聞いたが、まだ何も書いていなかったので、「書けたら読んでね」  と言った。 ・2年後、書けない・・・と悩んでいた。  そんなとき、電車の窓から外を見たら、新緑がきれいだった。  西洋ファンタジーでは風景を書くのが難しい。  植物から何から、自分で考えるから。  でも、電車の窓から見える新緑の美しさに、  「ここにこんなにキレイがあるのに、どうして自分で考えなくてはいけないのか」  とすとんときた。  自国の文化を忘れがちだったのだと思う。  それで、古事記が好きだったこと、学生時代に古事記をモチーフに書こうとしたけれど  書くのが難しくてやめたことを思い出した。 ・日本の風景が書けるという前提で、ファンタジーを書いてみようと思った。  風景描写が苦手で、苦手だからこだわった。  枕草子や源氏物語の四季、特に枕草子の「春は~」という、あの感覚 ・地上にいる人たちだけでなく、地下に行ったイザナミの女神も同等の大きさで  存在すると思った。  闇(やみ)の中の女神様には、どういう周りがいたのか、それを考えて広がった  「祝詞」(延喜式)を読んで、「ああ、ここにいたんだ」と思った。 ・大祓いで穢れを川に流してとするけれど、それは女神が遠くまでさすらって、  女神が流してくれている ・そこで、女神の一族に女の子の主役を、対する側に男の子をと、考えて空色勾玉が生まれた  そういう設定にすると、自分がどうしようとしなくても、最後は和解になる ・考えずに書いている。  空色勾玉の最後の、男神と女神の出会いは考えていなかった。  自分は少年と少女(狭也と稚羽矢)のことだけ考えていた ・自分は町田市の、伝統的な行事やお祭りのない町で育った  でも、そうやって自然にかけたことで、(伝統のある中で育っているかどうかは)  関係ないと思った。腑に落ちた。日本で、ここで育った。  空色勾玉を書き終わって、それを感じられたことがとてもうれしかった。  (ここで荻原先生、本当にうれしそうにニッコリ) ・中沢新一さんの「人類最古の哲学」  インディアン(ネイティブアメリカン)が、西洋人から聞いたシンデレラの  話を作り替えた話がとてもおもしろい。  哲学は世界をどうとらえるかの基本。  神話や昔話は、「必要なもの」として私たちが作り出してきた。  ものを言う動物。  現実に生きるのに、そういうものを持っていないと生きづらくなる(と中沢さんが言っている)  日本は征服した部族の姫を妻としたりする、子どもへの母親の影響も大きい   ・出雲神話には踊りがあったんじゃないかと思う ・型にはまらない日本の昔  ファンタジーの可能性  それを探すのが楽しい  (講演終了) ■以下、質問コーナー。  一人で2~3個質問する人も多かったですが、質問ごとに分けて書いています。 Q、ユングなどの話をされていた、そのあたりをもう少し A、(ユングの典型的な人の話)アニマ/アニムス、父/母、老賢人、シャドウ(影)   主人公に小動物など、すごくファンタジーな要素がある   ユングを読んでからゲド戦記を読むと、似ていると思った。 Q、お仕事をしていたときと辞めてからの、お仕事の進め方など A、講演依頼も前からいただいていたが、仕事と両立できず断っていた。   ストレスで不健康に。   平日は仕事、土日で作家活動としていたが、出版社との打ち合わせで   平日に仕事を休まなくてはならないこともあり、職場に迷惑をかけていると考え、   それが心理的負担に。   辞めてからは健康になりました。   創作のペースはあまり変わっていません。 Q、昔はファンタジーを読む人が少なかったということについて A、昔は、特にバリバリ働く年代の男性などがファンタジーを読まなかった。   振り子の揺り戻しのようなものかも。   昔はマンガを読む大人はバカにされていたが、いまはそんなことはない。   捨てたものからまた拾い上げるものがある。   指輪物語のトールキンも、当時は講演会で妖精物語(ファンタジー)を   書いたことをずいぶん言い訳したいた。   (いい年齢の男性教授がファンタジーかと思われていた?)   今はまた変わっていく途中なのだと思う。 Q、荻原作品には歴史上の人物が出てくるが、どうやって創作に取り入れるのか。   調べているとうまく書けない。 A、歴史上の人物が出てくるのは薄紅と風神だが、たとえば薄紅は時代設定を   あそこにしようとは思っていなかった。   その前に、趣味として坂上田村麻呂の本を読んでおもしろいなあと思い、   その後に桓武天皇の本を読んだらまたおもしろかった。   その人たちが出てくる時代にしようと思って決めた。   調べながら書くのではなく、書く前の段階で、読んだものは一度すべて   チャラにする。   でも、覚えているものは書いているうちに自然に出てくる。   書いた後で、答え合わせのように調べて、あまりにも違うというところは直す。   (コレ、私も高校時代くらいに悩んでいたことだったので参考になりました!) Q、作品によく「ものを言う動物」が登場し、鳥がお好きなようですが。   (ぴっころ質問) A、動物は好きだが、飼ったことはない。   母にだめだと言われて飼わせてもらえなかった。   子猫を拾ったことが数回あるが、その度に元の場所に戻してくるように言われた。   今はマンションで猫を飼おうと思えば飼える環境にあるが、ここまで   ペットを飼わずに暮らしてきたのでもう飼わないかも?   唯一育てたと言えるのがヒヨコ。   殻を割って生まれてくるところから鶏になるまで育てた。   刷り込み効果で、ヒヨコが私をお母さんと思い、自分の後をどこまでもついてきて、   トイレまでついてくるのがとてもかわいかった。   だから鳥が特に好きなのかもしれない。鳥には愛着があります。   鳥と恐竜が近いと思っており、そういう説が言われだす前から似ていると思っていた。   鳥というか、恐竜に近いあの生物が好き。   今日もマンションでスズメにえさをやってきました。   カラスがしゃべるのが好きで、カラスを見ると、「カラスくん♪」と思っちゃいます。 Q、先生は途中まで書いてうまくいかないときは原稿をばさっと捨てることが   あるそうですが、白鳥異伝でもそういうことがあったと雑誌で読みました。   そのように原稿をばさっと捨てるきっかけは?   また、白鳥異伝の初期の原稿では、主人公の遠子が小倶那と菅流の間で   揺れ動いていたと読んだのですが、もしできましたらその幻の原稿の   内容を少し教えていただければ・・・   (ぴっころのメイン質問、オギワラマニアな内容に会場から笑いが・・・すいません。    これでもイタタちゃん度を35%くらいまで抑えたつもりだったのですが。。) A、白鳥異伝についてのマニアックな質問ですね(笑)   書いては捨てるのは当たり前。何百枚か書いていても安心できない。   200~300枚くらいは捨てる。   どの作家さんでもそうじゃないかな。   あ、でも、森博嗣さんとお話したときにそう言ったら、   「げえ、(自分は)一度も捨てたことない」   って言ってました。      なんで原稿を捨てるかというと、そこから先に進まなくなるのがわかる。   簡単に捨てるわけじゃなくて、しばらくもったいないもったいないとジタバタして、   そうしているうちに、ある日、   「もったいなくないんだ、やめなきゃいけないんだ」   という日が来て、この部分は捨てて書き直そうと思うんです。   最初からのときもあるし、ここがだめだという原因のところからの場合もある。   そういう時って、私が流れに甘くなって、主人公が思ってるのと違うことを   私がやらせようとしちゃってるんだと思う。   白鳥異伝は長いので、何度も書き直した。      白鳥異伝では、最初は菅流と遠子は、もうちょっと恋愛関係に発展する予定だった。   あ、でも、実際に書いてはないの(笑)   書く前に、菅流って人は、どうもそういうことはやらない人だと。   そういう(口説く)気持ちで遠子を助けると、菅流って人じゃなくなると。   菅流のキャラクターが確立してきた。   菅流は、たとえ遠子を(好きだと)思っていても、絶対言わない(笑)   もし、ちょっとぐらい、遠子が小倶那のことを見捨てたら、やろうかな、みたいな(笑)   でも、遠子が小倶那を見捨てないうちは絶対手を出さない。   そんな人に、菅流というキャラが育ってきまして、正しかったかなと思っています。    ぴっころ歓喜☆ 途中から微笑みが抑えきれずきもかったかも、すみません。。。 うん、そうですよね。菅流ってそういう人ですよね! 私の妄想創作「幻の白鳥異伝」でも最後まで遠子には好きと言わずに、 「じっちゃんの肩で泣かせてもらおう」にしてますが、 仮に好きだとしても横恋慕な行動をとらない、それが菅流って気がします。 ビバ☆菅流!! (あ、私がパラレル覚悟で書いてるぶっとんだやつは、だいぶキャラ違いますが) イタタちゃん度35%放出&周囲の失笑覚悟で質問させていただいたかいがありました! 荻原先生、丁寧にお答えくださってありがとうございました! では続きを・・・。 Q、挿絵を描いたいとうひろしさんとの思い出を教えてください A、大学で同じサークルで、他の人が絵本作家になりたいとせっせと作品を   描いていたが、それまで描いていなかったいとうさんが描いてみたら、絵本作家に。   仕事を辞めようか迷っていたときにも、いとうさんが「なんとかなるよ」と   背中を押してくれた。   いとうさんはサラリーマンは向いていないと最初からフリーなので。 Q、高校生の娘が荻原先生のファンで、今日は娘の代わりにきました。   娘が何かある度に「樹上のゆりかご」を読んでいるのですが、   先生の高校生活や進路の選び方など、高校時代のことを教えてください。 A、娘さんによろしくお伝えくださいね(ニッコリ)   樹上のゆりかごは、今なら高校生活がファンタジーに読めるかもと思って書いたんです。   私は都立T高校出身で、人物は創作ですが、行事はそのまんま、どこも変えていないんです。   行事の内容や熱中ぶりなんかもそのままで。   現在のT高校は自分が通っていたときのT高校とは違うので、記録的な気持ちもありました。      体育祭もすごかったんですが、自分が体育が苦手だったので書かなかった(笑)   唯一モデルがいるのが国語の先生で、その先生の最終講義で、先日母校に行きました。   「平易な文章が書けますね」というセリフも、その先生に言われたままです。   文章が書けますねということを、初めて言われた。   漢文を古文に直す、しかも七五調か五七調でという難しい宿題が出たときに、   私のがほめられたんです。   そのとき、文章が書けるのかもと思いました。   大学入試の時にも(早稲田を受験するのを)自分にできるかなあと相談したら、   先生に「まあやってみなよ」と言われて。   その進路に進んでいなければ、いま全然違った状況だった(作家になっていない)と思います。 Q、音楽や舞について A、やったことはない。   ジャズダンスは少しだけ。   運動の中ではダンスが好き。   神楽と能・歌舞伎は近いものではと思う。   だから、風神では糸世をあのように登場させた。   舞は想像で書いているのですが、けっこう描写をほめてくださる方が多くて、   ほめられてよかったと胸をなでおろしています(笑)     シベリアのシャーマン、スーフィー、ぐるぐる回る   舞→回る→シャーマン→バレエ 白鳥の湖の黒鳥の32回転とかおおーっと思う   踊る→跳ねる Q、RDG1巻の最後に万葉集の歌が出てきて、恋の歌ですが、この歌を選んだ理由は? A、私の好きな万葉集の歌で、ちょっと変なものを選んだ。   理由はないです。好きな歌だから。   学生のとき、万葉集は長いので、自分の好きな歌だけ抜き書きした万葉集を作っていた。   その中から、よみびとしらずのもので好きな歌を選んだ。 Q、作品の中によく生徒会が出てきますが A、生徒会に入ったことはありません。   生徒会が出てくるのは、学園もののお約束と言うか。   開催側のことが書けるといろいろいいので。   あ、生徒会長が好きだったとかではないです(笑) Q、私は研究をしているのですが(中略)   荻原先生の作品のラストは、ぽんと出てくる感じ。   どうやってそういうラストを考えるのか。 A、論文は結論のために書くものですよね。   物語は、プロットを作ってきっちり書く方もいますが、私はそうではなくて。   わたしもわかっていないというのが結論なんです。   わたしが最初からわかっているような結論は、判で押したようなものになる。   書きたい結論はきっとあるんです、なければ書き始めていないから。   結論はつけられるんですが、こじつけの終わりになるか、そうでなく全てを   含んだ終わりになるか、どちらかで、後者の終わりを思いつくまで書く。   いつ思いつくかわからないので手に汗握りますよ(笑)   おりてくるとか言うと神がかってるみたいでアレなんですが、   深層心理から出てくるんだと思います。   上橋菜穂子さんとお話したら、同じだっておっしゃってましたね。 Q、薄紅天女など、作品によく万葉集が使われていますが、   万葉集の東歌についてどう思われますか? A、東歌が好きかということですか?   東歌は好きですね。   方言とか出てくると、いいなあと思います。   鳥の鳴くあずまとか言いますが。   防人の歌も好きですね。   町田に住んでいたのですが、そこを通っている街道が、防人が西へ   行くときに使った道で、思いをはせたりします。   思っている以上に、西と東の文化は違うなと思っていて、   諏訪あたりの文化を掘り下げてみたいなあと思ったりしますね。 Q、世界にはいろんな神話があり、安藤美紀夫さんの「ボイヤウンベ物語」など   アイヌの神話や、その他さまざまな神話がありますが、世界の神話について   どうお考えですか? A、子どもの頃、少年少女世界名作全集50巻を読んでいて、その中にいろんな国の   神話があったので、横並びに読んでいますね。   アイヌと蝦夷と東人は、今思われているよりもっと混ざっていたんじゃないかなと   思います。   アイヌの文化がもっとこちらにも入っていたんじゃないかと。地名とかもありますし。   神話が世界中で似てくるのは、何か電波なのか(笑)、(人として)同じものが   出てるくるのか Q、子どものための本に必要なものは何ですか? A、作者は(そういうことは)考えていないと思います。   「私が書きたい物語は一つ」   どう書くかとかも含めて。   自分も、児童書と一般書の境界にあるような作品を書いてしまうが、   そう書くなと言われても変えられないし、本人の資質だと思います。   言えるとしたら、お金のために書くのではないということでしょうか。   たとえば、幼年向けだったりすると、お母さんが目の前の子どもに語るようにして   書いたりもされますし、合う人が書くべきだと思います。 (質問コーナー終了) その後、サインを希望する方は並んで、荻原先生にサインをいただきました。          中学校の図書館の本をお持ちになった先生(たぶん)もいらっしゃいましたね。 そこの中学の子は、荻原先生のサイン入りの本が学校に置かれるんだ、 素敵だなvと思いました。 私もサインいただきました。 その時に、以前活字倶楽部の質問コーナーで菅流まみれの質問を させていただいたことと、答えていただいたお礼を申し上げたら、 「ふふ~、覚えてます~(笑)」と言っていただきました。 (荻原先生の記憶力が抜群ということだと思うのですが、  ちょっとうれしかったです) 島根の玉作湯神社のお話をしたら、 「私もあそこにはお礼参りに行かなきゃな~とは思ってるんですよね」 とおっしゃっておられました。 その後、幸せ感に浸りながら帰宅いたしました。 講演会に来ていた方は、平日午前中ということもあり、マダム風の方が 多かったです。 私と同じ匂い(オギワラー)を感じた人は5~6人くらいかな。 定員60名とのことでしたので、10分の1くらいでしょうか。   港北文庫のつどいメンバーの皆様は、すごく本がお好きそうな方が 多いなと思い、こうやって集まって講演を聞いたり、語り合ったり されるのって素敵だなと思いました。 企画をしてくださった方、運営メンバーの皆様、港北図書館の皆様、 そして講演をしてくださった荻原先生、本当にありがとうございました。 ■ぴっころ感想 荻原先生のお話を聞いて、「本を読みたい」「物語を書きたい」という 気持ちが高まりました。 カスカスになっていた心に水を注いでいただいたような気持ちです。 荻原先生が以前より元気とおっしゃっていたのが、すごくほっとしました。 (荻原先生のご健康を心よりお祈りしています!) 10月末には新潟でご講演、12月にも2件講演があるそうですが、 これからも荻原先生のご講演活動が楽しみです♪ (創作活動を楽しみにしているのは言うまでもなく!) ■ぴっころつぶやき 自分的にイタタちゃん度を35%程度に抑えて、ある程度良識のある社会人として、 でも自分の気持ちにも正直にという、バランスをとってみたつもりだったのですが、 「なんか変なファン来てるな」「ああいう人がいるから困るのよ」 「同じ荻原ファンとして、見ていられなかった」など、 不快な思いをされた方がおられましたら大変申し訳ありませんでした。 自分が到着時にガラガラ(5人しかいない)だったからと最前列に座り、 白鳥異伝のマニアックな質問(これでも自分なりにはイタタ度を抑えたのですが)を してしまい、港北文庫のつどいの皆様はさぞかしドン引かれたことと思います。 重ね重ね申し訳ありませんでした。 (ほんとすみません・・・自分に正直に生きすぎた・・・) ほとんどの方は質問内容が大人な感じでした。 荻原作品についてではなく、荻原先生のお考えを聞くような質問をされる方が多いというか。 (お二人くらいは、作品に関連した質問でしたが) そんな中、私の(自分なりには控えめにした)菅流の質問が異彩を放ってますね(遠い目) 10月31日にある新潟の講演会は、中高生の方も多いようですし、日曜日だし、 もっともっと、私なんか目じゃないくらい荻原作品に突っ込んだパワフルな質問をしてくれる人が たくさんいるんじゃないかと激しく期待しています☆ というか、誰か新潟レポしてくださるかなぁ・・・。 やっぱり新潟にも行こうかな・・・(真剣に考え中) 以上でレポは終わりです。 ここまで読んでくださってありがとうございました! 2010年10月15日   ぴっころ 拝 ※リンクを貼っていただける場合は、サイト内迷子を防ぐためあたそのやメインページにお願いします。 ※その他の荻原先生講演会レポはこちらです。 「2010年12月4日荻原規子先生講演会レポ(國學院児童文学会シンポジウム)」 「2008年7月5日古代文学会シンポジウムレポ(荻原先生、三浦先生)」




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