2月14日。

ただいま、という小さな声が聞こえた気がした。
「お帰りなさい!」
ましろはそう答えると、エプロンをつけたまま台所から玄関へ、ぱたぱたとスリッパの音を鳴らしながら急いだ。
玄関では息子の阿高がしゃがみこみ、バスケットシューズを脱いでいた。
阿高の脇には少しふくらんだ黒いゴミ袋が置いてある。
「阿高。これなあに?」
ましろが尋ねると、阿高はぼそりと言った。
「チョコレート」
そして、それだけではよくないと思ったのか、少しつけくわえた。
「かばんに入らなくて、先生に言ったらゴミ袋くれた」

阿高はくつを脱ぎ終わると、さっさと台所へ向かった。その後を、ましろはゴミ袋を持って追いかけた。
阿高は冷蔵庫をあけると、コーラのペットボトルを出し、直接口をつけてごくごくと飲んだ。
「もう、また直飲みして」
ましろが言うと、阿高はちょっとばつの悪そうな顔をした。
コーラを飲んでしまうと、阿高はまた何も言わずに2階の自分の部屋に上がっていこうとする。
ましろは思わず阿高を呼び止めた。
「ちょっとちょっと、これどうするのよ」
ゴミ袋を抱え上げて見せると、阿高は考えもせずに言った。
「母さんが食べてよ」
「やーよ。少しは女の子の気持ちを考えてあげなさい。それに、これ全部食べたら太っちゃうわ」
「親父がもらってくる分、毎年全部食べてるくせに」
「あれはいいのよ、全部義理だから」
ましろは願望をこめて言った。
ましろのそんな様子に頓着せず、阿高は、
「じゃあ、友達と食べなよ。えっと、太香さんに梨里さんだっけ。みんなで食べてよ」
と言って上に上がっていってしまった。

ゴミ袋とともに階下にとりのこされたましろは、とりあえず、食卓のテーブルの上に袋の中身を出してみることにした。
袋をさかさまにして振ると、中からごろごろときれいな箱たちが転がり出てきた。
ひとつ、ふたつ・・・と数えると、全部で8個あった。
「今朝さえちゃんがくれた分をあわせてここのつか」
ましろはつぶやくと、さらにチョコレートを観察した。
どのチョコレートにも小さな封筒やメッセージカードがくっついている。
ましろはメッセージを読んでしまわないよう気をつけながら、女の子の名前だけを見た。
クラス名簿で見たことがある名前がさえを含めて5人、ということは残りの4個は他のクラスの子なのだろう。
「あれれ、鈴ちゃんがいない?」
ましろは小さな驚きを口にした。
以前参観日に観察したところ、阿高は鈴という少女のことが気になる様子だったし、鈴も阿高に好意をもっているようだったのだ。
ましろはなんとなくだけれど人の気持ちがわかってしまう特技をもつので、この件に関しては確信を持っていた。
「まあ、私が口を出すことじゃないわよね」
ましろは少し残念そうに微笑んだ。


そのころ阿高は2階でベッドに寝転びながら、折り紙を見つめていた。
学校の机の引き出しの手前のところに入っていたものだ。
中に入っていたチョコボールの最後の一粒を口にしながら、阿高は考えこんでいた。
(鈴、かな・・・)
そうであればいいと思うけれど、鈴はさえに問われてはっきりと否定していた。
だけど、どうしても鈴だという気がしてならなかった。さえの言ったとおり、鈴は赤、オレンジ、黄色、黄緑、緑などのクレヨンのような配色を好むのだ。そのことは、美術の時間に作る作品で明らかだった。

「阿高。ごはんよー」
ましろの声で目が覚めた。
バスケ部の練習の疲れからか、少し眠ってしまっていたらしい。
時計を見ると、30分くらいしかたっていなかった。
階段を下りていくと、ネクタイをはずしながら歩いている勝総にぶつかった。
「あ、親父、おかえり」
「おう、ただいま」
勝総はにこにこして言った。
「ずいぶんチョコレートもらったんだな。母さんが喜んでたぞ」
「親父の方がずっとたくさんもらうだろ」
そう言って玄関を見るが、例年なら玄関に転がっているはずのチョコレート山盛りの紙袋が、今年は見当たらなかった。
阿高の視線に気づいて、勝総はまた笑った。
「あー、父さんな、ちょっと持って帰れる量じゃなかったから、会社から宅配便で送ったんだよ。明日届くから阿高も食べていいよ」
そこへましろが心なしか不機嫌そうな顔で現れた。
「会社の女の人って大変ね。そんなに義理チョコあげなきゃならないんだから」
すると勝総はましろを抱きしめて言った。
「そうそう。おれに本気なのはましろさんだけだよ」
「もう、そんなことばっかり言って」
そう言いながらもましろの表情はすっかり緩んでいる。
阿高はらぶらぶな夫婦を無視してダイニングへと向かった。
そんな阿高を見て、ましろがあわてて勝総を放し、ごはんをよそいに急ぐ。
「いいよ、母さん。自分でできるから」
阿高はそう言うと、3人分のごはんをよそいテーブルについた。

夕食はすき焼きだった。
3人で鍋をつついていると、ふと思い出したように勝総が言った。
「そういえば、藤太もたくさんもらったんだろうなあ」
チョコレートの話のようだった。
阿高は肉を探す箸を休めずに言った。
「うん。20個くらいかな」
阿高の同い年の叔父の藤太はすぐ近所に住んでいる。クラスは違うが、学校は同じだ。
「おれの幼馴染は藤太と広と茂だけなのに。さえがクラスでおれと幼馴染だって騒ぐんだ」
阿高がため息をつくと、ましろが笑った。
「もう、この子ったら、女の子の気持ちが本当にわかってないのね」
「そうだぞ、阿高」
勝総がうなずく。
だが、そんな勝総にましろは冷たい目を向けた。
「あなたは女の子と見ればいい顔するんだから。藤太もそうだけれど、丈部の男はみんな女たらしなのかしら。そういう意味では、阿高は鈍いくらいでいいのかもしれないわ」
「そうだね。ましろさんの言おうとおりだ」
にこにことうなずく勝総に、ましろは皮肉を言う気が失せてしまったようだった。
「もういいわ。そうだ、阿高、これチョコレートにくっついてた女の子たちのお手紙。せめて読んであげなさいね」
ましろの矛先は今度は阿高へと向いていた。




3月13日。
ホワイトデー前日。
ましろはデパートにいた。
「もう、どうしてわたしが」
そうつぶやきながらも、お菓子を見て歩くのは楽しかった。
ましろは阿高と勝総のもらったチョコレートのお返しを買いに来ていたのだ。
勝総の方は、全部ブランドハンカチですませ、今は阿高の方にとりかかっていた。
(何がいいかな・・・)
有名洋菓子店の通りを歩いていると、店員に声をかけられた。
「奥様。ご試食いかがですか?」
店員の持つお盆に載っていたのは淡い紅色をしたマシュマロだった。
ひとつもらって口に入れてみた。
「あ、おいしい」
口の中でとろける感じがなんともいえない。さすが有名洋菓子店だけある。
値段を見ると、それほど高くはなかった。
「このマシュマロ9箱ください」
鈴の分を買いたくなったけれど、余計なお世話だとぐっと我慢して、ましろは店員にそう注文した。





3月14日。
阿高はゆううつだった。
学生かばんに部活用のかばん、そして有名デパートの大きな紙袋。
一緒に登校しようと迎えに来た藤太は、大荷物の阿高をあきれたように見ていた。
「おまえ、すごいな」
「しかたないだろ。せっかく母さんが買ってきてくれたんだから」
紙袋の中のマシュマロは、お返しを準備する様子がない阿高を見て、わざわざましろが買ってきてくれたものだった。
「藤太こそなんだよ。たくさんもらってたくせに、お返ししないのか」
阿高が言い返すと、藤太はにやにやしながら学生かばんを開け、中から小さなコンビニのビニール袋を取り出した。
「ほら、いっこやるよ」
藤太が袋の中から取り出したのはチロルチョコだった。
「親父さんがそんなもん自分の金でやれって言うからさ。自分の小遣いで買ったらこんなもんさ」
阿高は藤太の言葉にうなずいた。
阿高も、かばんの中に小さな薄紅色の小箱をもっていた。
自分のお小遣いで買ったら、本当に小さいのしか買えなかった。

学校に着くと、阿高はいつこれを鈴に渡せばいいのかひどく悩むことになった。
肝心のそれを考えていなかったのだ。
鈴があのチョコボールをくれたと決まったわけではないのだから、お返しというのは変だ。
どうすればいいのだろう、と悩んだ末、阿高は移動教室のときに、一人遅くまで教室に残った。
そして、鈴の机の横のフックにかけられている高級店の紙袋の中に、その小箱を入れた。


放課後、バスケ部の活動のため、藤太と体育館への渡り廊下を歩いていた阿高は、傘もささずに正門を出て行く鈴の姿を見つけた。
その瞬間、わけのわからない衝動が阿高を突き動かした。
阿高は荷物を投げ出し、傘だけをひっつかんだ。
「悪い。荷物頼む。後で戻るから先生によろしく言っといて!」
藤太に向かってそう叫ぶと、阿高は下駄箱へと駆け出した。

後を追いかけたものの、鈴の姿はなかなか見えなかった。
通学路はなので、他に曲がるはずはない。
上履きをはきかえる時間に鈴はずいぶん先へ行ってしまったようだった。
阿高が少しあきらめかけて足をゆるめたとき、遠くの方に誰かがしゃがみこんでいるのが目に入った。
一目で鈴だとわかった。
阿高は鈴に向かって再び全力で駆け出した。
傘が揺れて髪や肩がぬれてしまったけれど、そんなことは気にしなかった。
鈴の顔を識別できる距離まで近づくと、阿高は叫んだ。
「鈴!」
名前を呼ばれて、道路にしゃがみこんでいた鈴が顔をあげる。
彫刻刀がちらばる路上で、鈴はあの薄紅色の小さな小箱を手にしてしゃがみこんでいた。
阿高は荒い息をおさえながら言った。
「お前、ずいぶん歩くの速いんだな」
そして、驚いた様子の鈴に、少し微笑んで見せた。
「あれさ、鈴だろう?」
あれだけ訊くのがためらわれていたことだったのに、なぜか言葉が出た。
鈴が一気に真っ赤になった。
「気づいていたの?」
「ああ、なんとなくだけどな」
本当は確信に近かったといのはないしょだ。
「自分の小遣いで買ったから、そんなのしか買えなくてごめん」
阿高が謝ると、鈴はぶんぶんと首を振った。
そして、うれしそうに笑った。
鈴の笑顔に一瞬見とれてから、阿高はいそいで散らばっている彫刻刀を拾い集めた。
そして、しゃがみこんだまま小箱を見つめていた鈴に、傘をさしかけた。
「ほら、帰るんだろう。家まで送ってやるよ」







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ああああ、またやってしまった〜(汗)
懲りてないよこの人・・・あああ。
どうしても阿高一家が書きたくて。
またサムいんだよ!とお怒りの方、申しわけありません。
しかも、推敲ほぼなしで文章が変・・・。

今回の話は、上にアップしてあります咲耶さんの学ラン阿高のイラスト、そして掲示板での秋さんのカキコから、妄想がふくらみできあがりました。
ありがとうございました。

このお話、やひろさんがご復活の折にはぜひ捧げさせていただきたいです(断られるかも…)
はじめてまともに勝vましを書きましたが、楽しかったです♪