(注)これは私が荻原先生のキャラクターをお借りして書いた完全な妄想です。
樹上のゆりかごともパラレル(別世界)です。
二次創作の苦手な方はお読みにならないことをおすすめします。







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ハールーンの帰還C


教育実習担当のクラスの生徒、上田ひろみに質問を受けたおれは、
社会科第二準備室にいた。
女生徒と二人のときはドアは開けておく、これは基本だ。

そんな教師の心得の復習をしながら、おれは本棚から資料を探していた。
彼女に質問された、ハールーン=アッラシードについての資料だ。

社会科第二準備室はほぼ資料倉庫のようになっていて、他の教師は皆
第一準備室と職員室に自席を持っている。
なので、いま、おれと上田ひろみは二人きりなのだった。


ようやく資料を見つけ、上田ひろみに渡すと、彼女はありがとうございますと
受け取ったものの、何か言いたげにおれを見た。

おれもずっと気になっていた。
彼女はおれの夢の中の少女にそっくりなのだ。
しかも、「ハールーン」という夢の中のおれの名前を知っているかのような
この質問。
彼女は一体誰なんだろう。

おれは思い切ってきいてみることにした。
まどろっこしいのはあまり好きではないのだ。

「あの、上田さん。変なことを聞くけど、きみとどこかで会ったことがないかな?
なんとなく会ったことがあるような気がするんだけど」
すると、上田ひろみは目を見開いた。
「・・・覚えているんですか?」
「あれ、やっぱり会っていたか」
おれはほっとした。
会ったことがあったから、夢に出てきたのだ。
たいして親しくない知人が夢に出てくることもあるし、それと同じだろう。

「どこで会ったのかな?家が近所とか?あ、それとも、おれがバイトしてる
塾の生徒さんとか?」
おれが笑って尋ねると、彼女は首を振った。
そして、言おうか言うまいかという様子でしばらく悩んでいたが、やがて
決心したように言った。

「わたしも変なことをお尋ねしますけど、先生はラシードやミリアムや
マスルールやダンダーン様を知っているのではないですか?」

彼女の質問に、おれは凍りついた。
彼女が口にしたのは、すべておれの夢の中の登場人物だ。

いや、とおれは自分で自分の考えを否定した。
もしかしたら何か有名な小説に出てくる登場人物なのかもしれない。

しかし、そんな考えも、彼女の次の一言で消え去った。
「先生の夢の中で、先生はハールーンと呼ばれているんじゃないんですか?
そして、わたしのことをジャニと呼んでいませんでしたか?」
「な・・・」

おれは絶句した。
おれ以外知るはずのない夢の中のことを、なぜこの少女はこんなにも
詳しく知っているんだろう。

信じられなかったが、与えられた情報を冷静に判断するのなら、答えは
ひとつしかなかった。

「きみは・・・・ジャニなのか?」

おれが尋ねると、上田ひろみは一瞬目を見開いた後、花が咲くように
笑った。

普通の子に見えたけれど、笑うとずいぶんかわいい。
と、考えた瞬間、上田ひろみはおれの胸に飛び込んできた。

「ハールーン!あなたこっちの世界に来られたのね!会いたかった!」

条件反射で抱きしめてしまったものの、おれはあわてた。
ここは学校なのだ。

「ちょ、ちょっと待て」
おれは急いで彼女の肩をつかみ、自分から離れさせた。

うっすらと涙を浮かべて微笑んでいた彼女は、不思議そうにおれを見た。
「確かにおれは夢の中でハールーンと呼ばれていた。だけど、あれは
夢だ。おれは海野春樹であって、ハールーンじゃない」
「でも、わたしのことを覚えているんでしょう?」
「きみにそっくりな女の子をジャニと呼んでいた。それは確かだ。だけど、
きみだって上田ひろみなのであってジャニじゃない。そうだろう?」

おれがそう言うと、上田ひろみの顔から微笑が消えた。
「わたしは上田ひろみだし、ジャニでもある。両方ともわたし。こっちに戻って
きたときにきちんと合わさってひとつになるの。でも、先生は違うんですね。
ハールーンとは違う・・・」
「あたりまえだろう。夢は夢だ」
「ハールーンはそんな頭から否定するようなことを言う人じゃなかったです。
なんでもおもしろがって、試してみたがって・・・・」

おれはむっとした。
夢の中のハールーンとおれが比べられ、おれの方がだめな奴だと判断
されたのがわかったからだ。
おれだって、夢のなかのハールーンの方がいい男だということはわかる。
ハールーンは自分の意志を貫き通す強さを持っていた。
そして自由を、自分の望む世界を手に入れた。
そんな風に生きられたらどんなにいいだろう。
だが、現実はそんなに甘くない。
あれは夢のなかだからできることなのだ。
そうに決まっている。

おれはそんな気持ちのまま言い返した。

「だから、おれはハールーンじゃないんだよ。ハールーンはただの夢の中の
話だ。おれはあんなに破天荒でもなければ強くもない。ハールーンは、
あくまで夢の中の人物にすぎない」

言ってしまってからおれはすぐに反省した。
生徒に向かってこんなにむきになって、大人気なかったと思ったのだ。


上田ひろみはしばらくうつむいていたが、静かに言った。
「・・・・わかりました」

そして、顔を上げた。

「先生がそこまでおっしゃるならもういいです。もうハールーンの話は
しません。資料、ありがとうございました」

そういうと、上田ひろみはくるりと踵を返して準備室を出て行った。
もしかしたら怒らせてしまったのかもしれない。

おれはため息をついた。
そして、自分も次の授業に向かうべく、あわてて準備室を出たのだった。




   *               *




教室にもどりながら、わたしは涙がこぼれるのを止められなかった。

ハールーンだと思ったその人に、ハールーンのことを夢の中の人に
すぎないと言われた。

いままでも、もしかしてそうなのかもしれないと不安に思ったことはあった。
ハールーンはこの世界のどこにもいないのかもしれないと。

でも、どこかにいると信じていたのに。

(先生はハールーンじゃない・・・・ただ夢を見ていただけ)

そう思うと、また涙がこぼれた。

こんなことになるのなら、ハールーンをこちらの世界になど連れてくるの
ではなかった。
あちらにいれば、ハールーンはハールーンのままでいられたのに。
自分が連れ出してしまった以上、もうあちらの世界にもハールーンは
いないのに違いない。
あちらにはもうジャニがいないのと同じように。


「どうしたの、おひいさん。そんなに泣いて。顔中真っ赤になってるよ」
男子トイレの前を通りかかったら、江藤夏郎が出てきて、のんきな声で
そう言った。

「うるさいわね」
泣いている女の子にかける言葉はもっと思いやりを持つべきではないの
だろうか。
わたしはハンカチで涙をぬぐった。

「ね、どうしたの。なんかあったの?」
まとわりついてくる江藤夏郎を払いのけながら、わたしはため息をついた。





Dへ続く