紫苑の日記

「紫苑、ケーキが焼けたわ。お茶にしましょう」
背後でドアが開く音がした。振り向かなくても誰だかわかった。今おれの部屋に尋ねてくる人間なんて、木蓮、彼女しかいない。

おれの目の前に立った彼女は両手でプレートを運んでいた。プレートの上には、ケーキの皿とティーカップがふたつずつ載っていた。
本を読んでいたおれは、テーブルから足をおろして立ち上がり、彼女からプレートを受け取った。

「ねえ、紫苑」
おれと向かいあって腰かけ、ラズベリータルトを口に運びながら、木蓮は遠慮がちに言った。
「そろそろみんなと一緒に…お茶をしてはどうかしら」
おれは紅茶を飲み干してから、ゆっくりとうなずいた。
「ああ、そうだな」
だが、あまり乗り気ではなかった。
あんなことをしでかしておきながら木蓮と婚約したといって、男どもはみな激しい憤りを込めた目でおれを見る。女たちはおれのことをこわがる。当然だ。おれはそれだけの罪を犯したのだから。

それにしても、不思議なのは彼女だ。
木蓮。
彼女はどうしておれを嫌がらないのだろう。
もともとおれは彼女に極めて冷たく接していたし、あんなにひどいことをしたというのに。
どうして彼女はおれを許し、婚約者と言っておれを受け入れてくれたのだろう。

もしかしたら。
もしかしたら、少しはおれのことを・・・。

だが、おれはそんなばかげた考えを自嘲の笑みと共に吹き飛ばした。
まさか、そんなはずはない。
彼女は玉を愛していたんだ。
おれが無理やり奪い取った、ただそれだけ。
彼女がおれに優しいのは、彼女がキチェスだから。
神に選ばれ愛されている慈愛の人だから・・・。
そうだ、そうに決まっている。
彼女がおれのことを・・・なんて、ばかげてる。
思い上がりもいいところだ。


「紫苑?」
木蓮がティーカップを持ったまま、おれの顔を心配そうにのぞきこんだ。
「大丈夫よ。みんなそのうちわかってくれるわ」
どうやら彼女は、おれがみんなとのことで悩んでいると思ったらしかった。

おれが彼女に向かって少し笑顔をつくって見せると、彼女は一瞬目を見開き、そして微笑んだ。
大輪の花が咲き誇るかのように、という表現がぴったりの、清らかで美しい微笑み。
彼女は輝いているように見えた。
いや、実際、彼女は輝いていた。
彼女の顔のまわりをふちどる美しい金色の髪は、柔らかな輝きを放っていた。

「紫苑」
木蓮がおれを呼ぶ。
「紫苑、わたしはあなたが好きよ」
真剣なまなざし。
彼女は真剣におれを元気付けようとしてくれているだけだ。
みんなはどうあれ自分は好きだと、元気づけようとしてくれている。
そんなことはわかっているのに。
彼女に「好き」だと言われると、心が躍る。
学生時代、何度となく女の子たちから告げられた言葉。
ただのあいさつくらいにしか思っていなかった言葉。

その言葉が、彼女が使うときには輝きを放つ。
そして、おれをたまらない気持ちにさせる。

「おれも君が好きだよ」
密かな想いをこめておれも言った。
木蓮はじっとおれの顔を見て、それから微笑んだ。
なんだか寂しそうに。

そうだよな、おれに好きだと言われてもしかたないんだ。彼女は玉を愛しているのだから。彼女がそう言ってほしいのは玉なのだから。

「すまない」
おれが謝ると、木蓮は微笑んだまま首を振った。
そして、椅子から立ち上がると、おれに近づき、いつものようにおれを優しく抱きしめてくれた。
おれも彼女を抱きしめ返した。
なんだか少し泣きたくなった・・・。



木蓮の日記


今日もケーキを焼いた。
あの人と話す口実。
婚約してからもまだこんな口実が欲しくなるなんて。
わたしは弱い女だ。

「なあ、木蓮、たまにはこっちでみんなと食べたらどうだい?」
柊にそう言われたけれど、わたしは首を振った。
紫苑と・・・一緒にいたかった。


紫苑の部屋に行くのはいつも少し緊張する。
婚約してからのあの人はいつもわたしに優しいけれど、やっぱり緊張してしまう。
深呼吸をして、私は明るい声を出した。
「紫苑。お茶にしましょう」と。

紫苑は本を読んでいた。
テーブルの上に足をあげて、くつろいだ格好で座っていた。
そんな彼の体のラインに、わたしは一瞬見とれてしまった。彼の体のラインが、わたしはとても好きだ。どこがどうというわけではないのだけれど、たまらなく愛しい。

紫苑はテーブルから足を下ろすと、立ち上がり、私の持っていたプレートを受け取ってくれた。

紫苑と向かい合ってお茶を飲みながら、私は言った。
「ねえ。そろそろみんなとお茶をしてはどうかしら」

嘘だった。
みんなとなんていや。
あなたと二人でいたい。でも。

紫苑はうなずいたけれど、明らかに乗り気ではなかった。
私はほっとした。

でも、紫苑はすぐに何か考え事を始めた。
憂鬱な表情・・・。
みんなのこと?それとも、わたしのこと?
不安でたまらなかった。

無理やり婚約なんて言い出したわたしのことを紫苑がどう思っているかなんて、すぐ予想がつく。
だけど、わたしへの罪の意識で、彼は私に優しくしてくれている。
ただそれだけなのに。
彼が優しいと、一瞬忘れそうになる。
彼がわたしのことを好きでいてくれるのでは、なんて都合のいい考えが頭をよぎる。
でも、彼から伝わってくるたくさんの罪悪感が私のそんな希望をぺしゃんこにする。

そう、彼は罪滅ぼしをしているだけよ。ただそれだけ。

「紫苑」
わたしは紫苑に声をかけた。
「大丈夫よ、みんなきっとわかってくれるわ」
こんなことをいう自分が嫌い。
本当は不安でたまらないくせに、こんなことを言ってごまかす自分が大嫌い。

でも、紫苑は笑顔を作って見せてくれた。
がんばって笑ってくれている。
そんなことは百も承知だったけれど、うれしかった。
彼の笑顔を見られるのが幸せで、私も微笑んだ。

「紫苑、わたしはあなたが好きよ」
想いを口にしたくてたまらなくて、励ますようなふりをしてわたしは言った。
好き。紫苑。あなたが大好き。
でも、そんなことはテレパスでだって言えないから。
あなたの罪悪感を増やすだけだから。
だから、励ますふりをして口にする。
慈愛に満ちた女神のように、優しく告げる。

すると、紫苑はわたしをみつめて言った。
「おれも君が好きだよ」

『君が好きなんだ』
そう・・・あのときも紫苑はそう言った。
でも、嘘だった。
玉の鼻をあかすための、サージャリムをあざ笑うための、嘘だった。

『紫苑がわたしに・・・愛していると・・・嘘をついたのよ・・・』
自分が狂ったようにつぶやき続けた言葉。
ショックだったから。
彼だけはわたしに偽りなく接してくれると信じていたから。

心が悲しく冷えるのを感じた。
微笑んだけれど、微笑みきれなかった。

信じたい、彼の言葉を。
でも、彼から伝わってくるひどい罪悪感。そして「好き」という言葉。
そう、これは彼の謝罪の言葉なのだ。

わたしが黙っていると、紫苑は小さくつぶやいた。
「すまない」
と。

ああ、やっぱり。

体中から力が抜けていくような気がしたけれど、私は気力をふりしぼって立ち上がった。
そして、紫苑に近づき、彼をそっと抱きしめた。
彼も私を抱きしめてくれた。

彼の腕の中にいられることが幸せだった。
だけど・・・泣きたいくらい、悲しかった。


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はい、いきなりですが、ぼくたまパラレル日記を書いてみました。
(これから、荻原さんの他作品とかいろいろチャレンジしてみたいです!)

ぼくたまというのは白泉社から出ている日渡早紀さんの「ぼくの地球を守って」という名作漫画のことです♪
文庫版でも出ています。
今までどんな漫画にもはまったことがないという友人が、これだけははまったと言っていました。
当然、はまりやすい管理人はかつて思いっきりはまってました。
今ははまっているというわけではないのですが、やはり好きな作品です。
先日、ツタヤのレンタル品処分でビデオを購入したこともあり、なつかしくなって書いてみました。
ただ、パラレル日記なので、原作にそっていない部分もあるかもです(たとえば、言ってないせりふを言わせてみたり。

関係ないですが、うちのゼミに紫苑さんに似ている男子がいます。
彼は、スポーツ万能(特にサッカー上手)、頭脳明晰、肌も紫苑さんのように焼けて、髪型も紫苑さん、しゃべりかたも紫苑さん、背が高くルックスもまあよく、トラウマらしきものがあったり(笑)
ただ、彼と知り合って実感したこと。
『紫苑さんは彼氏には向かない(爆)』
やっぱり現実につきあうなら、もっと普通の人がいいと思います(笑)