深読み菅流日記


菅流視点で白鳥異伝を深読みして書いた、もうひとつの白鳥異伝です。 荻原先生が白鳥異伝の初期の原稿で「小倶那と菅流の間で心が揺れる遠子」を 書いていらしたと知り、幻となったもう一つの白鳥異伝を読みたいと思ったのが きっかけでした。 菅流→遠子(片想い)を書いていますが、原作の中の一途な遠子が好きという思いも 強かったので、遠子は小倶那一筋のままにしています。 活字倶楽部06春号の質問コーナーにて、菅流→遠子について質問してみましたところ、 荻原先生にご回答いただけました!→内容はこちら 私の脳内設定では、時系列で下記のようになっています。 @菅流 → 遠子(深読み菅流日記) A小倶那 v 遠子 B菅流 v 象子(象子の日記 はじまりのとき) この深読み菅流日記は@の部分を書いたものです。 菅流→象子以外は許せないという方は、お読みにならないことをおすすめします。 *文中の台詞はほぼ全て「白鳥異伝」からの引用です。 *原作にない場面の台詞はぴっころの創作です。 1、真夜中の夢 病み上がりの遠子を寝かしつけてから、菅流も横になったものの、眠れずにいた。 勾玉を二つ持つようになって以来、あまり眠らなくなった気がする。 二つでこうなのだから、四つそろったら一体どうなるのだろうと菅流は思った。 とてもではないが、遠子には持たせられない。 今の遠子は危うすぎる。 それが、菅流が遠子についてきた一番の理由だった。 そのはずだったのに。 遠子と一緒にいると、菅流は自分の気持ちを疑ってしまう。 本当にそれが理由だったのか、と。 自分はただ単に遠子と旅を続けたかっただけなのではないかと、そう考えてしまう。 菅流は眠っている遠子の顔を見た。 遠子は静かに眠っていた。 菅流は遠子の寝顔を見ながら微笑んだ。 そのとき、不意に遠子が目を開けた。 遠子は菅流が見つめていたことには気づかず、突然わっと泣き出した。 「どうしたんだ」 菅流は驚いて遠子に声をかけた。 遠子が今気づいたというように菅流を見た。 菅流は遠子のそばによって、しゃがみこんだ。 「まだすっかりよくなっていないな。遠子がうなされて泣くと象子がいっていた。こわい夢を みるのか?」 菅流がそう尋ねると、遠子はみるみる顔をゆがめた。子どもが泣く直前の顔だ、と菅流は 思った。転んだ子どもは母親に気遣いの声をかけられるとこんな顔をして泣き出すものだ。 案の定、遠子は菅流にしがみついてすすり泣きはじめた。 遠子に抱きつかれて、一瞬どきりとした菅流だったが、すぐに苦笑した。 今の自分は遠子にとって母親と同じなのだ。 男と認識されているわけではない。 菅流は遠子を抱きしめてやろうとして、少し考えた。 そして、上掛けの布をとり、それで遠子をくるみこんだ。 そのうえで、遠子を抱きかかえた。 布越しでも、遠子の体が冷えているのがわかった。 初めて抱きしめる遠子の体は、菅流が今まで抱いてきたどの女よりも細かったが、思って いたよりもずっと柔らかかった。そして、なぜかとても満ち足りた気持ちになった。 (なんだ、これは?) 菅流は自分の気持ちに困惑した。 (他の女たちと違うのは、遠子が子どもだからだ) そう決め付けると、菅流は遠子のすすり泣きがとまっているのを確認し、声をかけた。 「話してみろよ。どんな夢なんだ」 菅流が尋ねると、思いのほか素直に遠子はこたえた。 「小倶那の夢なの・・・というよりは、小倶那がいない夢」 遠子は小倶那を探してまわったという夢について語った。 話しながら、遠子はまた涙をこぼしていた。 遠子にとって小倶那というのはよほど大事な人間らしい。 菅流は小倶那というその人物に軽い嫉妬をおぼえつつ、ゆっくりといった。 「小倶那というのは、前に舟を作って遊んだといっていた、幼なじみのことだな」 「そう。いつでもいっしょだった」 遠子はうなずくと、懐かしそうに彼の思い出を語り始めた。 みるみる表情が違ってくる。 こんな闇の中でもまぶしいほどに、遠子の表情は生き生きとしていた。 いままでもそうだった。オグナ丸の話以来、遠子は彼の話をするときはいつも表情が違った。 本当によい顔をするのだ。 そして、菅流は遠子のそんな顔を見たときから、遠子をただの子どもとは扱えなくなって しまったのだ。 菅流がろくにあいづちもうたないのに、遠子は夢を見るような目をして小倶那の思い出を 語り続けた。 菅流の胸がまたうずいた。 嫉妬だった。 (でもこれは違う) 菅流は必死で自分の感情を打ち消した。 自慢ではないが、菅流は今まで女が他の男の話をしたからといって嫉妬したことなどなかった。 唯一嫉妬したと思えるのは、幼なじみの扶鋤が他にもひどく仲のよい友人をつくってしまった、 あのときくらいだ。 (そうだ、遠子は女じゃない。男友達と同じだ) 無理やりそう結論づけて、菅流はようやく安堵した。 小倶那の思い出を語っていた遠子の声がとまった。 菅流は静かにたずねた。 「もうこの世にはいないのかい」 こんな質問に自分が祈るような気持ちをこめていることに、菅流は気づいた。 遠子はずいぶん長いことだまっていたが、やがてつぶやいた。 「たぶんね」 遠子のその答えに喜んでしまう自分を恥じながら、菅流は言った。 「よほどいいやつだったんだな。それほど心にかけていられるというのはね。けれども 死んだ人を追うのはよくないぜ。小倶那にかわる、小倶那と同じくらい好きになれる人を、 早く見つけろよ」 言葉にしてしまってから、菅流は自分でも驚いていた。 (何を言っているんだ、おれは・・・) こんなことを言うはずがなかった。 以前、伊津母で恋人を亡くした女の子から相談をされたときは、優しくほほえみかけながら こう答えたはずだ。 『無理に忘れる必要はないさ。早く新しい恋人をつくって忘れなきゃなんてあせることはない。 君が思って やれば、その男も浮かばれるだろう』 死んでしまったからって忘れることなんてできやしない。むしろ、死んでしまった人間は 実際よりも美化され、記憶に残りつづける。 そんなことはわかりきっているのに。 そして、そんなときどんなことを言えば女が納得するかもよくわかっていたはずだ。 なのに、今、菅流が遠子にいった言葉は全く逆だった。 (早く他に好きな人を見つけろだって?おれはなにを・・・) 菅流は混乱した。 そして、菅流のそんな言葉に遠子が納得するはずもなく、遠子はくちびるをかみしめていた。 小倶那の他に好きになれる人なんていない、菅流は遠子がそういっているように思えた。 (胸が、うずく・・・) 遠子を抱きかかえたまま、混乱した頭で、菅流はわけのわからない胸の痛みだけを感じていた・・・。 2、欲する意味 「ばか、来るんじゃない」 菅流は自分を追ってきた遠子を見て声をあげた。 盗賊がたくさんいるのだ、遠子を危ない目にあわせたくなかったし、なにより異形のような 自分の姿を遠子に見せたくなかった。 (遠子はきっとおれをこわがる・・・) 遠子が自分と距離を置くようになったらと考えるとたまらなかった。 だが、来てしまったものはもう仕方ない。 菅流は遠子を守ることに意識を向けた。 遠子はちょうど馬から振り落とされたところだった。 そんな遠子に盗賊達が飛びかかる。 「させるか」 菅流は叫んで男たちに躍りかかった。 自分の体を光が包み込むのを感じる。 体がひどく軽く、少し地面を蹴るだけですばやく飛びまわることができる。 菅流は盗賊達をなぎ倒した。 途中で、遠子がおびえたように菅流を見つめているのに気づいたが、最後の一人を倒すまで 菅流は止まらなかった。 盗賊を全員倒すと、菅流はひとつ息をつき遠子のもとへ歩み寄った。 一瞬、遠子が身をすくませた。 菅流はそんな遠子の態度に軽い衝撃を受けながらも、わざとからかうように言った。 「聞き分けがないな、遠子は。そんなにおれのそばを離れたくなかったのか」 実際、遠子が菅流を追ってきた時、うれしくなかったといえば嘘になる。 遠子が危険をかえりみず自分を心配してくれたのだから。 菅流の口調に遠子は少し安心したようだった。 「加勢しようと思ったのよ・・・でも、いらなかったことはよくわかったわ」 声が涙ぐんでいる。 菅流は苦笑いして、座り込んでいる遠子のうえにかがみこんだ。 「こわかったか?」 菅流が尋ねると、遠子はだまってうなずいた。 菅流は努めて明るく笑った・・・少しでも遠子がおびえないように。 「今でもこわいか?」 菅流が勇気をもって発したその問いに、遠子は答えなかった。 「勾玉の力なの?」 「ああ。二つあるからだ」 (だから遠子には持たせたくなかったんだ) 菅流は笑った。 「気がくじけただろう。もうやめようか、勾玉捜しは」 (そして、小碓命を追いかけることも・・・) だが、菅流のからかいに、遠子はかえって奮い立ったようだった。 「とんでもないわ。なによこれしきのこと」 予想通りの反応ではあった。 遠子は元気になるのと同時に、菅流への恐怖も払いのけてしまったようで、菅流はほっと 胸をなでおろした。 こんなことで遠子との関係がかわってしまうのはいやだったのだ。 「いっしょに来てね、菅流」 遠子が決意を固めたように言った。 (ああ、遠子が望むならどこまでもついて行くさ) 菅流は心の中でつぶやく。 「あなたには最後までいてほしい」 菅流の心が踊る。 菅流は満足げに笑った。 だが。 「あなたの力、ほしいのよ」 遠子の最後の言葉に、菅流は泣きたくなった。 (力。結局それだけか・・・) 菅流は地面に膝をつきたくなる自分の体を必死で支えた。 遠子が欲するその力だって、菅流の力ではない、勾玉の力だ。 菅流が橘の一族でなかったら。 みどりの勾玉を持っていなかったら。 その勾玉を輝かすことができなかったなら。 遠子は決して菅流という存在を欲することはなかっただろう。 (遠子は勾玉の主としてのおれしか必要としていない・・・) そんな当たり前の事実にいまさら気づく。 勾玉の主が他の男であったなら、遠子はその男を欲しただろう。 菅流は絶望した。 だが、長年つちかってきた習性はこんなときも菅流を救ってくれる。 気がつくと菅流は笑っていた。 遠子は何も気づかなかったようで、馬がいないとあたりをきょろきょろしている。 菅流は遠子にわからないようにこっそり息を吐いた。 そして、自分の頭に無理やり言い聞かせたのだった。 勾玉の主としてでも、遠子と一緒にいられるのだから、それでかまわないのだと。 遠子と一緒にいられればそれでかまわないのだと・・・。 3、小さな嫉妬 「遠子どの? そこにいるのは三野の遠子どのでは」 盗賊団の中から、ふいに遠子の名が呼ばれた。 「だれなの、今のは」 遠子の問いに、盗賊団の中から男が一歩進み出た。 いかにも盗賊の頭領といった雰囲気だ。 背が高く、日に焼けている。 きりりとした眉、高い鼻、彫りの深い顔立ち。 眼光は鋭いものの、それがまた人の目をひきつけるのだろう。 その男はもう若くはなかったが、それでも菅流が認めざるを得ないほど魅力的な人間ではあった。 「七掬どの」 かすれ声で遠子が男に呼びかけた。 菅流はぎょっとして遠子を振り返った。 遠子は信じられないという顔で男を見つめていた。 「やはり遠子どのだった」 男は表情を和らげた。 「なんのさだめか死にきれず・・・今にいたっております。遠子どのにはさぞ、生き恥と見える ことでしょう」 男の言葉に、遠子は一瞬立ちつくしていた。 だが、すぐに弾かれたように駆けだして男の胸に飛び込んだ。 菅流は一気に不快になった。 おもしろくなかった。 七掬と呼ばれた男がそっと遠子の肩に手を置くのを見て、ますます不快感は増した。 何より、自分よりも昔から遠子を知っているらしいこの男が気に入らなかった。 菅流は腕組みして遠子を呼んだ。 「古い知り合いとはよかったじゃないか。おれたちの馬を返してくれるように、そいつに言えよ。 こんな場所は早いところ抜けようぜ」 早く遠子と二人の旅に戻りたかった。 だが、遠子はそんな菅流の思いにはまったく気がつかないようだった。 「わたし、七掬どのお話をもう少しくわしく聞きたいの。ご招待を受けたいわ。七掬どのが 立派な方だということ、わたしは知っているのよ」 遠子が七掬に、もしかしたら菅流に対して以上の信頼を寄せているのを感じて、菅流は ひどく不機嫌になった。 それでも遠子を一人で行かせるわけにはいかず、七掬に案内される遠子のあとをおった。 こんなに胸がもやもやしたのは初めてだった。 おもしろくなかった。 4、擬態 遠子はひどく七掬を信頼しているようだった。 今までなら菅流に頼ったようなことでも、七掬に頼む。 菅流はおもしろくなかった。 遠子が勾玉の主としての自分しか必要としていなくてもかまわなかったが、せめて遠子に 頼られていたかった のだ。 (こんなおれはおれじゃない) 菅流は頭を振った。 遠子と一緒に旅ばかりしていたからきっと感覚が狂ったに違いない。 都の大路の市にさしかかると、菅流は懐かしい空気を感じた。 市、けんか、女たち。 (そうだ、遠子と出会うまで、おれはこういう場所で生きていたんだ) だが、懐かしいとは感じたものの、それほどひかれるものはなかった。 前のように飛び込んでいきたいとは思わない。 それよりも遠子と一緒に話でもしていたほうがずっと楽しいだろうと思えた。 だが、七掬のあとばかり追っている遠子を見て気が変わった。 (やっぱりおれには前のような生活が合うのかもしれない) 菅流がそう考えていると、七掬と何やら話をしていた遠子が菅流のところにやってきた。 遠子は言った。 「あなたが目立たないでいようとしないなら、わたしたちはいっしょに歩けないわ」 菅流は心の中で反論した。 (好きで目立っているわけじゃない・・・) 確かに今は目立つことを楽しんでいるが、それはどうやっても目立ってしまうならそれを 楽しんだ方がまだいいと学んだからだ。 だが、遠子にそんなことがわかるはずもない。 菅流はあっさりといった。 「それなら別行動をとろう。七掬どのがいるから、遠子はめんどうをみてもらえ」 遠子は驚いた顔をした。 菅流があっさりそんなことを言うとはおもっていなかったようだ。 菅流は妙な小気味よさを感じながら七掬の肩をたたいた。 「あんたがいっしょに来てくれて感謝しているよ。子守りの引き取り手がいる。おれは 久しぶりに羽をのばすから、そこのところをよろしく」 「だれの子守りですって」 思惑通り、「子守り」という言葉に遠子がつっかかってきた。 菅流はわざとらしく笑った。 「二日・・・いや、三日くれ。それからまた会おう。ずいぶん長いことお楽しみはなしできたんだ。 そのくらいの暇はくれよな」 女遊びに行くようなことをにおわせると、単純な遠子はすっかり腹をたてていた。 「遊び人。見そこなったわ。このまほろばへ来たのは、ほんとうはそのためだったの」 (よく言うぜ) 菅流は苦笑した。そして言った。 「両方さ」 遠子はぷりぷりと怒っていた。 少しはやきもちを焼いてくれているのだろうか。 だが、菅流はすぐにそんなばかな考えを打ち消した。 菅流を遊び人としか思っていない遠子のことだ、単に勾玉捜しに熱心でないことを怒って いるのだろう。 菅流は愚かな自分をあざ笑い、遠子達に手を振って歩き出した。 遠子と別れてから三日がたった。 菅流は市で知り合った女の部屋で寝転んでいた。 大臣に仕えるそこそこの身分の女らしい。 そこには他にもたくさんの女が住んでいたが、みな菅流をちやほやしてくれた。 抱いてやらなくても、女たちは菅流がそこにいるだけで喜んでいるようだった。 「やっぱりこれだよ・・・」 菅流はつぶやいた。 「おれってものすごくいい男だよな?」 普通の男が言えば叩き出されてもしかたがないようなせりふだったが、女たちはみな頬を 染めてにこにことうなずいた。 「うーん」 菅流はうなった。 それなのに、遠子ときたら。 菅流を勾玉の主としてしか見ていない。 どうしてだろう。それほど小倶那というやつがいいのだろうか。 菅流は酒をあおった。 酒に酔わないはずの菅流だったが、遠子のことを考えながら飲むと、なぜか酔えた。 菅流はたわむれに手近な女を抱き寄せた。 大臣の屋敷の女だけあって、なかなかの美人だ。 女は小さく声をあげたが、おとなしく菅流の胸におさまった。 だが、菅流は女を腕に抱きながらもむなしさを感じていた。 (違う・・・こんなものじゃないんだ) 遠子を抱きしめた時とはぜんぜん違う。 ぜんぜん幸福じゃない。 ぜんぜん足りない。 菅流は美しい女たちを前にして、ときめかなくなった自分を異常だと思いながら、女を放した。 そして、三日ぶりに二つの勾玉を手に乗せた。 勾玉は前より少し光を強めていた。 (帰ろう・・・遠子のところへ) 菅流はそう決めると立ちあがった。 引きとめる女たちを笑顔でかわしながら、菅流は奥に向かって手招きをした。 「そこの藤色の着物の人、勾玉が呼んでいるみたいだ。一緒に来てくれないか」 菅流と目も合わせず、言葉もかわさず、女たちの奥にかくれるようにしていた女性に、 菅流は呼びかけた。 遠子のことを忘れたくて無視していた勾玉のちりちりする感覚はその女性の手をとると さらに強まった。 都にあるという勾玉に何か関わりのある人物に違いない。 「名前は?」 「か、加解と申します・・・」 「じゃあ、加解姫。行こうか」 菅流は勢い良くそう言うと、加解姫を抱きあげた。           *   加解姫を連れて帰ってから、遠子は目に見えて沈み込んでいた。 だが、菅流は七掬から「そんなに美女がいいのかしら」と遠子がしつこいほど怒っていた ということを聞いて満足していた。 少しは遠子も妬いてくれたのかもしれない。 だが、加解姫と神の峰へ出かけると言うと、沈んでいたはずの遠子は猛烈に反発した。 菅流は真顔になっていった。 「遠子は御統の主にはならない。小碓命を殺せやしないんだ」 遠子はぶんぶんと首を振った。 「剣の主になりかわっていても、小倶那は小倶那だ」 遠子にここまでさせるのは小碓命であり、それは幼なじみの小倶那なのだ。 遠子に殺せるはずがない。 菅流は苦しい気持ちを隠して言った。 「遠子は今もやつが好きなんだよ」 「ちがうわ」 遠子が叫んだ。 だが、菅流にはよくわかっていた。 遠子はまだ小倶那が好きなのだ。 「おれが殺してやるよ」 菅流はいった。 「そのままでは、一生小倶那のかげから抜け出せないぞ」 押さえてはいるものの、いつのまにか菅流は必死な声を出していた。 「絶対にいやよ」 遠子は声をふるわせた。 「あなたのものさしで私をはからないでよ。菅流みたいに、色恋にうつつをぬかす人と いっしょにしないで」 遠子の言葉に、菅流は少なからず傷ついた。 遠子にとって菅流とはそういう人間でしかないのだ。 「強情っぱりめ」 菅流は遠子に背を向けた。 「ついてくるなよ。ついてきたらおしおきだぞ」 「菅流」 遠子が追ってくる気配を感じで、菅流は振り向いた。 菅流は遠子の鼻先に指をつきつけた。 「いいか、おまえは主じゃない。遠子はただの女の子だ。そのことが身にしみるまで、 よく考えろ」 遠子には残酷な言葉だろうと思ったが、菅流はあえて口にした。 菅流の厳しい言葉に、遠子が泣き出した。 菅流は遠子を抱きしめたい衝動を抑え、泣き顔の遠子を無視して踵を返し、加解姫の 元へと向かった。 勾玉を手に入れるために。 遠子のために。 5、引力 命がけの戦いと加解姫の協力で、菅流はようやく三つめの勾玉を手に入れた。 加解姫に勾玉を差し出されたとき、一瞬ためらったのは、加解姫に悪いと思ったから だけではなかった。 菅流の頭の中には遠子のことがあった。 もう3つ目の勾玉もそろってしまった。 勾玉がひとつそろうごとに、遠子も小倶那にまた一歩近づいていく。 そう思えた。 それがいやだった。 加解姫にひきとめられたものの、菅流はそれをやんわりと、だがあっさりと断った。 「きみはもう自由だし、自分の力にも目ざめている。おれが助けなくても、これからは 充分強く生きられるよ」 言いながら、自分でもひどい男だと思った。 男として最低な台詞なのに、遠子のことを考えていたら、勝手にそんな言葉が飛び出した。 だが、加解姫と山を降りて、七掬の手の者から、遠子が大王の宮に潜入していると きいて、菅流は愕然とした。 (そうだ。遠子はそういうやつだ・・・) 人の助けを借りるよりも、どこまでも自分でやりとげようとする。 そんな強さを持っている。 だが、そこが弱さにもなることを菅流は知っていた。 (おれが助けなくても、これからは充分強く生きられるよ) さっき加解姫にいった自分の言葉が痛かった。 遠子だって、菅流が助けなくても自分で走り出す。 強い弱いで言うなら、加解姫だって遠子だって変わらない。 菅流は苦笑した。 (きみは強いから大丈夫) (彼女は弱いから、おれがいないとだめなんだ) 男たちが吐く、ばかな台詞。 あんなのはうそだ。 弱く見える女が実際は強いことだってある。 要は自分がその女と一緒にいたいかどうか。 一緒にいて満足するかどうか。 そんな単純なことなのだ。 そんなことを考えていた菅流がふと気がつくと、菅流の体はなにかに・・・だれかに 強く呼ばれていた。 (遠子?) おそらく、それは勾玉の力だろうとは思った。 大王の宮にあるという、もうひとつの勾玉。 その勾玉と菅流の勾玉が呼び合っているのだ。 でも、菅流は遠子が自分を呼んでいるのだと信じたかった。 呼ぶ声に集中すると、抗いがたい力で体がどこかにひきよせられそうになる。 自分を呼んでいるのが勾玉でも遠子でも、どちらにしても、いや遠子ならなおさら、 抗えないことは明らかだった。 「菅流どの」 菅流の姿が揺らいだのを見て、加解姫が悲鳴をあげた。 菅流は笑った。 蛇神と戦っていた時間が長かったせいか、ずいぶん長い間遠子に会っていない気がした。 「心配いらないよ、勾玉の力だ。たぶん宮へ行く道があるんだと思う」 きっとそこには遠子がいる。 「試してみるさ」 菅流はそう言って、自分を引き寄せる力に身をまかせた・・・。 6、輝き 一番最初に目に入ったのは遠子だった。 引き寄せられる力のままに空間を飛んだ菅流は、にやりとした。 遠子の元に飛べたのだ。 やはり自分をひきよせていたのは遠子だったと思った。 「はねっかえりめ、手を焼かすんじゃないよ」 菅流が言うと、遠子は信じられないという顔で尋ねた。 「どこからきたの」 「葛木から」 答えてから、それだけでは不十分かと思い、胸の勾玉を指差して言った。 「三つ目が手に入ったぜ」 そして、血だらけの自分の姿を思い出してつけくわえた。 「ちょっとばかり苦労させられたが」 本当は命がけだったことは言えるわけがない。 光を放つ菅流を遠子はまぶしそうに見た。 だが、そんな遠子自身も、うっすらと輝いていた。 光は遠子の握り締めた手の中からもれていた。 遠子は自分の勾玉を手に入れてしまったのだ、と菅流は思った。 それにしても、今夜の遠子は勾玉の光を抜きにしても光り輝くようだった。 采女に変装したのだろうか、普段の男の子のような格好とは違う、女物の上等な絹の服。 いつも無造作に束ねている髪も、今夜は美しく結い上げられている。 遠子の薄い唇には紅が塗られており、化粧もしているようだった。 そんなことを考えていたので、菅流は大王の存在をすっかり忘れていた。 「くせ者だ。くせ者が殿に入りこんだぞ」 大王が警備の者を呼ぶ声で、菅流ははっとわれに返った。 そして、かけつけてくる者の中に、火の山で見た男の顔をみつけてにやりと笑った。 「旧知のよしみで警告してやるぜ。離れていろよ」 そして、大王に目を向けた。 大王は顔立ちの整った男だった。 もう中年のはずなのに、そうは見えない。 眉間のしわが唯一、大王の年齢を示しているようだった。 菅流は大王に言った。 「あんたがまほろばの大王か。お目にかかれて光栄だ。あんたが死ねば世の中が よくなると、教えてくれた人がいるんだが」 大王はさっと青ざめた。 だが、一歩前に出ようとした菅流の腕を遠子が引いた。 「やめて。いいの、このまま帰りましょう」 遠子の言葉に菅流は驚いた。 殺さないにしても、三野をほろぼした大王を遠子はうらんでいると思っていたからだ。 だが、遠子はまた繰り返した。 「帰りましょう」 遠子が大王に背を向けると、大王は遠子に向かって言った。 「行くな」 それは、罪人を捕らえようとする声ではなかった。 大切な人をひきとめようとする、そんな声だ。 菅流はなぜ大王がそんな言葉を発するのかといぶかしんだ。 だが、遠子はすべてを承知しているようだった。 そして、ゆっくりとかみしめるように言った。 「あなたを殺してはあげない」 遠子は神がかった巫女のように言った。 「わたしが心にかけるのは、そしてこの手で殺すのは、あなたの息子の小碓命なの。 彼だけなの」 遠子の言葉に、大王は苦しげに顔をしかめた。 だが、菅流は自分も大王と同じかそれ以上に胸が痛むと思った。 「剣の主である彼を葬るために、わたしは勾玉の主にもなったのよ。だから彼を追って行く」 (だから遠子に勾玉を持たせたくなかったんだ・・・) 心の中で菅流はつぶやいた。 なのに、遠子はここで自分の勾玉を見つけてしまった。 もう、遠子を止めることは、菅流にはできなかった。 激しく胸が痛んだ。 遠子が自分の勾玉を持つ。 それはすなわち、菅流が用済みになるということだった。 菅流しか勾玉を輝かせないからこそ、遠子は菅流が必要だったのだ。 彼女が自分で勾玉を輝かせる今、菅流が必要な理由はもうどこにもない。 菅流は泣きたくなった。 勾玉を三つも胸にかけて、力に満ち溢れているにも関わらず、どうしようもなく虚しいと思った。 権力をその手にしつつ悲憤の表情を浮かべる大王の気持ちがほんの少しわかる気がした。 「あなたを生かすことも殺すこともしないわ」 それは大王に向けられた言葉だったのに、菅流は遠子が自分に向かって言った ような錯覚を覚えた。 「これはあなたにとってのむくいなのかもしれない。でも、あなたが招いたむくいなのよ」 ああ、そうかもしれない。 菅流は苦笑した。 女の子と見れば声をかけて優しくしてきた。 もてる自分を楽しんだ。 豊葦原一の女を妻にするのだと豪語して、すっかり女好きの烙印を押された。 その結果がこれだ。 遠子は自分のことをただの女好きだとしか思っていない。 美女を探すためにおれが旅をしているのだと信じている。 菅流は萎える心を奮い立たせてしっかりと立った。 そして、遠子を抱き上げ、飛びかかってくる警備を軽くかわして、空間を跳んだ・・・。 7、暗闇と光 菅流は暗闇の中にいた。 どこからか子どもの小さな嗚咽が聴こえる。 闇の中に目をこらすと、小さな子どもがうずくまり、声を殺して泣いていた。 まだいつつかむっつくらいだろうか。 菅流は子どもに手を差し伸べようとしたが、まるで自分が透明になったかのように、 子どもに触れることはできなかった。 泣いていた子どもは、やがて意を決したように立ち上がった。暗闇の中をおぼつかない 足取りで進んでいく。 「いてっ!」 ふいに男の声がした。 どうやら寝ていただれかの足を踏んだらしい。 「ごめん、父ちゃん」 子どもがあわてて謝った。 だが、子どもの父親であるらしいその男は怒らなかった。 「どうした?なにかあったか?」 父親の寝ぼけた、だが温かい声に促されて子どもがしゃべりだそうとしたとき、父親の 隣に寝ていた母親も目を覚ました。 「まあ、どうしたの、こんな夜中に。おしっこ?」 子どもはふるふると首を振り、その場にしゃがみこんだ。 そして、また泣き出した。 「あらあら」 母親が笑った。 「めずらしいわね。一体どうしたの?」 母親に問われて、子どもは答えた。 「こわい夢を見たんだ」 「どんな夢なの?」 しかし、子どもは首を振って泣くばかりだ。 「おいで」 母親に呼ばれて、子どもが母親のそばに寄ると、母親は子どもを上掛けにくるみこんで 抱きしめた。 そして、あやすようにゆっくり揺らす。 しばらくそうしているうちに、子どもは落ち着いたようだった。 「あのね、みんないなくなっちゃうの」 「まあ」 「それでね、真っ暗なところにおれが一人ぼっちなんだ。本当に真っ暗なんだ。光も何も なくて、誰もいないんだ」 子どもの話を聞いて、母親は少し考えたようだった。 そして、子どもに言った。 「おまえも大きくなったものね。もうそろそろいいのかもしれない」 母親はそういうと、着物のあわせに手を入れた。 そして、胸元から小さな首飾りを引き出した。 「うわあ」 子どもが声をあげたのも無理はなかった。 その小さな首飾りは光を放っていたのだ。 その色はやわらかい若葉の色。 「すごいや」 無邪気に喜ぶ子どもに、母親は微笑んだ。 「これをおまえにあげるわ」 「いいの?」 「ええ、いいの。でも大切にしてちょうだい」 「うん!」 首飾りをかけてもらった子どもははしゃいでいた。 「本当にすごいや。明日みんなに見せてやろうっと」 「それはだめ」 母親に即座に反対されて、子どもは不服そうだ。 だが、母親は有無を言わせぬ調子で言った。 「これは私たちの一族に伝わる秘密のお守りなの。だから見せびらかしてはいけないの」 「でも・・・」 口をとがらせる子どもに、母親は根気よく言い聞かせた。 「お願い、母さんと約束して。これが光ることを人に言ったり、見せたりしてはいけないの。 約束できるわね?」 「・・・うん」 しぶしぶといった様子で子どもが承諾すると、母親は微笑んだ。 「これはきっと、おもえを守り導いてくれる。そして、いつかおまえが大きくなったら、 おまえが大切だと思う人にこれをあげるのよ」 「あげちゃうの?」 「ええ、そう、あげるのよ」 「ただで?」 子どもの問いに母親はくすくす笑った。 「もちろんよ」 「大切な人って何?父ちゃん?母ちゃん?それともじっちゃん?それとも友達?」 「いいえ」 母親はおかしくてたまらないという声で答えた。 「大切な人というのは家族や友達とは違うの」 「なんで?みんな大事だよ?」 「それなら、だれが一番大切?」 母親の問いに、子どもは頭を抱えたらしかった。 「えーと、えーと、わかんないや」 「そう。選べないでしょう?母さんがいう大切な人というのはそうではないの。おまえが、 豊葦原で一番大切だと思える人、その人にこれをあげてほしいの」 「豊葦原で一番?そんなやつ、会ったことないや」 「きっとこれから出会うわ」 「会ったらわかるかなあ?」 「わかります」 母親はやけにきっぱりと断言した。 「きっとわかるわ、そのときになればね。だからそれまで大切に持っていなくてはいけないの。 いいわね?」 「うん」 子どもは神妙にうなずいたが、やがて、また母親に尋ねた。 「母ちゃんはだれにこれをもらったの?」 「おまえのお父さんよ」 「じゃあ、父ちゃんは母ちゃんが豊葦原で一番大切だったんだね」 「ふふ、そうかもしれないわね」 「もういいだろう?」 それまで黙ってことの成り行きを見守っていた父親だが、さすがに照れくさかったらしい。 「さあ、もう寝よう」 「ええ」 母親はうなずいて、そして、小首をかしげた。 「でもどうしてかしら。今夜はなぜかもっとこの子の顔を見ていたいと思うのよ」 そういって、娘のように若々しい母親は、子どもの頭をなでながら、幸せそうに笑った。 (あの子どもはおれだったのか・・・) 菅流はすべてを理解した。 菅流は昔の自分を見ていたのだった。 また一瞬、菅流は完全な暗闇に包まれた。 そして、次の瞬間、声をかぎりに泣き叫ぶ子どもが現れた。 「父ちゃーん!母ちゃーん!」 この世の終わりとばかりに泣く自分だ。 菅流の両親は、菅流がミドリをもらいうけた翌日に、山崩れに巻き込まれて死んだのだった。 「いやだ・・・いやだ・・・帰ってきて・・・帰ってきてよ、父ちゃん・・・母ちゃん」 泣き続ける小さな自分。 そこへ現れる一人の老人。 「菅流、ほら、泣くのをやめんか」 老人は怒っているのか泣いているのかわからない表情で言った。 「わしは死なん。孫に説教するのがわしの夢だったんだからな。おまえが大きくなって、 嫁さんをもらって、子どもが生まれても、とことんまで生きて説教してやるからな」 「うん・・・」 老人の伝えたかった思いは子どもに伝わったらしかった。 子どもはしゃくりあげながら、言った。 「うん、じっちゃん。うん・・・」 自分の過去を傍観者として眺めながら、菅流はいろいろなことを思い出していた。 美しい母親。 ほがらかな父親。 二人とも菅流が幼いころに死んでしまったため、もう顔さえうろ覚えだったが、夢のおかげで 思い出すことができた。 どうして自分が子どもと年寄りに弱いのかも、わかりすぎるほどにわかった・・・。 と、ふいに全てが消え、また暗闇に戻った。 また何かが起こるのだろうか。 菅流が暗闇を見つめていると、ふいに目の前に小さな光が灯った。 それは柔らかな若葉の色。 (ミドリ・・・) また、光が灯った。 今度はほのかに淡い黄色だ。 次に灯ったのは黒。 暗闇の中でもそこにあることを主張し続けるきらめく黒。 そして、最後に灯ったのは・・・白だった。 その白い小さな光は、初めは豆粒ほどの大きさでしかなかったのに、どんどん明るさを増し、 どんどん大きくなっていく。 そして、白い光は菅流を包み込んだ。 白い光はとても温かかった。 菅流はその光に身をまかせた・・・。           * 菅流が目を開けると、目の前に遠子の顔があった。 「大丈夫?」 遠子に問われて、自分が現実へ戻ってきたことを確認する。 そして、小碓命の元へ行く途中、蛇神との戦いの疲れのせいで眠り込んでしまったことを 思い出した。 「やっぱり痛むの?うなされていたわ」 「いや、ちょっと変な夢を見ただけだ」 よく見れば、菅流の体には上掛けが遠子の分までかけてあった。菅流があからさまに 驚くのを見て、遠子は憤慨したらしかった。 「私だってそれぐらいするわよ」 だが、菅流はもうひとつ気づいた。 上掛けの右の部分がやけにあたたかいのだ。 まるで誰かが右側から温めてくれていたかのように。 もしかして、と菅流は思った。 夢の中で菅流をあたためてくれたあの光は・・・もしかしたら。 「ねえ、本当に大丈夫?傷が痛むんじゃないの?」 遠子が心配そうに菅流の顔をのぞきこむ。 遠子は王宮にしのびこんだときのままの采女の姿をしていた。 そして、その胸元には四つの勾玉が揺れている。 黄、黒、白。そして、緑。 菅流のミドリは今、遠子のものだった。 「豊葦原一か・・・まったくだな」 母親の言葉を思い出して、菅流は笑った。 「なに?なんの話?」 遠子は不思議そうだ。 菅流は黙ったまま微笑んで、遠子を見た。 数刻後には、遠子は自分をおいて小碓命を追っていってしまうだろう。 そうわかっていても、うれしかった。 それでも、幸せだった・・・・。 8、一世一代のうそ 「がきなんだからな、最後まで」 そうつぶやいたのは今から半刻ほど前だっただろうか。 死の御統を持って遠子が波間に消えた、そのあと。 彼を倒しに行く前に、遠子は菅流に尋ねたのだった。 どうして今までついてきてくれたのかと。 「象子がいたのに。わたしには象子みたいに見返りにあげるものがないのに」 本当に不思議そうに尋ねる遠子に、菅流は苦笑した。 これだから遠子はがきだというんだ。 どこの世に見返りなしにここまでする男がいるというんだ? 「おれはね、必要とされるところへ行くのさ。おまえと象子では、おまえのほうが少し 荷が重そうだったろう。なんといっても、一族の意志を果たそうとするのは大ごとだし、 おれも同族ならかかわるべきことだ。見返りも大事は大事だが、おまえは見返りを 期待して小碓命を追いかけたか?」 「・・・ううん」 「そういうことだ」 菅流が言うと、遠子はほっとしたようにほほえんだ。 「それならもう行くわ」 単純な遠子はこの程度の論法で納得したらしかった。 (ほんとうにがきなんだからな) 苦い思いでいっぱいになりながら菅流は言った。 「暴れてくるんだな。悔いがないように」     *               * 必要とされるところに行く? われながら笑わせる。必要というなら、象子だって、加解姫だって、伊津母の女の子達 でさえ、十分おれを必要としていたよ。 一族の意志?同族だから? そんなものがおれの行動を左右できるとでも思っているのか? そして、何より、遠子が小碓命を追いかけるのだって、見返りがあるからじゃないか。 もちろん、彼を解放してやりたいと思うことも理由のひとつだろう。 でも、だれより解放されたいのは遠子自身じゃないのか? 小碓を倒して昔の小倶那を取り戻す、そして自分も解放される、その見返りのために 行動していたんじゃなかったのか? 見返りなしに行動する人間なんていない。 物質的な見返りはなくても、精神的な見返りはみな期待しているものだ。 たとえそれが自己満足というものであったとしても。 おれがどうして遠子についてきたかなんて、考えなくてもわかりそうなものだ。 あれこれ理屈を並べてみても、本当の理由はただひとつ。 遠子と一緒にいたかった、それだけに決まってる。 でも、もういいさ。 遠子、おれは見返りをもらったよ。 おまえと旅している間、おれはずっと幸せだったよ。 だから、もういいんだ。 本音を言えば、小碓を殺しておれのところへ帰ってきてほしい。 でも、それは無理だろう。 きっと遠子には殺せない。 遠子は彼のことが好きなのだから。 それでもかまわない。 それでも、かまわない・・・。 おれの願いはただひとつ。 最後の最後に遠子が戻ってくる場所はおれの懐であってほしいと、おれはただそれだけを 祈り続けているんだから・・・。 9、嫉妬とごまかし 遠子が小倶那を殺せないままに消えて二月が経った。 菅流は小倶那と親しくなっていた。 初めて小倶那に会った時はいけすかない奴だと思った。 「ばかやろう。遠子のことは、おれのほうがよく知っているんだ、ずっと」 そうどなった。 だが、小倶那という少年を知るにつれて、菅流は小倶那に同情を感じすらした。 彼は菅流から見ても確かに不幸だった。 それに、菅流は小倶那という人物を気に入ってしまったのだ。 (とにかく遠子を探し出さなくては・・・) 菅流は必死で遠子を探し続けた。 だが、やっとのことで見つけた遠子は男といっしょにいた。 しかも、あろうことか、菅流の姿を見ると、 「知らない」 と言って、男の背中に隠れたのだ。 さらに、男の発した言葉に菅流は仰天した。 「この子はうちで一生暮らすんだ。おれの嫁なんだからな」 菅流はかっとなった。 「このやろう。何もかも台なしにしやがって、ぶちのめしてやる」 怒りのあまり頭が働かなかった。 遠子を小倶那に奪われるかもしれないということは覚悟していた。 遠子は小倶那が好きなのだし、自分はおとなしく身を引こうと。 だが、どうして、こんな男に横からかっさらわれなければいけないのか。 許せなかった。 遠子が小倶那以外の男の嫁になるなど、決して許せなかった。 (そんなことになるくらいならおれが・・・) 悔しかった。 遠子に止められるまで男をなぐった。 「やめて、菅流。真太智は何もしていない。真太智のせいじゃないのよ」 遠子の声で、やっとわれに返った。 なにもしていない・・・。 だからといってこの男を許せるわけではなかったが、菅流は男をなぐる手を止めた。 菅流は遠子と人気のない浜のはずれまで飛んだ。 遠子は、小倶那を殺すことができず、めちゃくちゃに逃げ出したのだと言った。 「なぜその時点でおれのところへ帰って来なかった。仲間だろうが。結果がどういうふうに なろうと、おれは待っていたんだぞ。御統だけをよこしたりして。おれが一番腹をたてて いるのは、そこのところだ」 菅流は言った。 遠子が小倶那を殺せないことなどわかっていた。 でも、たとえそうなったとしても、遠子は自分のところへ帰ってくると思っていた。 遠子が頼るのは自分だと思っていた。 遠子をなぐさめるのも自分だと。 だが、違った。 遠子は菅流のところへは帰ってこなかった。 傷ついた遠子を癒したのはあの男。 それが許せなかった。 あくまでも帰らないと言い張る遠子を菅流は説得しようと試みた。 遠子が一番気にかけていることは小倶那のことに決まっている。だから、さんざんに 小倶那の名前を出して気を引いた。 遠子が小倶那を好きだと断言した時には少し胸がうずいたが、遠子をあの男のところ から連れかえるほうが大事だった。 「小倶那には支えるものが必要なんだ」 菅流がまた小倶那を引き合いにだすと、ついに遠子がいぶかしんだ。 「いつから小倶那の味方になったの。おかしいわよ、御統の主のくせに」 本当におかしいと菅流は考えた。 だが、なんとしても遠子を連れて帰りたかった。 遠子をあの男のところへ置いておくことは絶対にいやだった。 しかし、遠子の怪訝そうな顔に、ついに菅流はひきさがった。 もしかしたら、やけになったのかもしれなかった。 「わたしのこと、許さないでしょうね」 遠子がつぶやいた。 菅流は虚無感を感じながら答えた。 「おれは許すも何もないさ」 (もういい・・・) 菅流は遠子に背を向けて、どこか別の場所へと念じて飛んだ。 悔しかった。 結局、遠子を連れて帰ったのは小倶那だった。 小倶那といっしょの遠子を見ているのはつらかったが、相手が小倶那な分、まだ ましだと思えた。 何より、小倶那といっしょだとはいえ、遠子のそばにいられることがうれしかった。 「どうなんだ。遠子どのと恋仲なのはお主のほうなのか」 と武彦にたずねられることもあった。だが、菅流は笑顔を崩さないように気をつけて言った。 「ちがうね」 と。 そうであったらどれほどよいかと、泣きたい思いを抱えながら。 10、痛み 小倶那と言い争って、どこかへ消えてしまった遠子が帰ってきた。 おそらく、岩姫にあとひとつの勾玉のありかを尋ねてきたのだろう。 遠子が消えてしまったその場で立ちつくしていた小倶那が、遠子を抱きしめた。 菅流は少し離れた柵にもたれて遠子が戻ってくるのを待っていたのだが、二人は 菅流にはまったく気がつかないようだった。 二人は静かに話をしていた。 途中から遠子が微笑んだのが、たいまつの灯りで見てとれた。 遠子は心を決めたのだ、と菅流は思った。 二人はお互いに熱心に何かをささやきあっていた。 「約束するわ」 と遠子がはっきりと答えた声だけは菅流の耳に届いた。 菅流の視線の先で、二人は抱きしめあい、くちづけを交わしていた。 菅流の胸がきりきりと痛んだ。 こんな痛みは初めてだった。 息が苦しい。 胸が苦しい。 ここにいてはいけない、見ないほうがいいと、そう思うのに、体が動かない。 つらい、と菅流は思った。 菅流の存在に気づかない二人は、そのまま寄り添って小倶那の部屋へ入って行って しまった。 二人の姿が視界から消えると、やっと菅流は体を動かすことができるようになった。 だが、体に力が入らず、菅流は地面にひざをついた。 (おれは・・・バカだ) こんな日がくることは覚悟していた。 だが、実際にその日が来てみると、それは予想していたよりもずっと激しい衝撃を 菅流に与えたのだった。 どのくらいそうしていたのだろう。 だれかが近づいてくる足音が聞こえた。 菅流はあわてて息を整えた。 気力を振り絞って立ち上がる。 胸の激しい痛みは鈍痛へと変わっていたが、確かにそこにあった。 それを無視して、菅流は近づいてきた兵士にあいさつした。 「よお、ご苦労さん」 「菅流どのでしたか」 兵士はほっとしたようにかすかにこわばった笑みを作ると、また別の場所の見回りに 行ってしまった。 明日、小倶那が一人で行ってしまうことはみな知っている。 だれもが不安になっているのだろう。 菅流は柵にもたれた。 すべてを投げ出して伊豆母へ帰りたかった。 実際、一度はそうしたのだ。 浜で遠子と決別した、あのとき。 どこか別の場所へと念じ続けた。 何度も飛んだ。 そしてたどり着いたのはやはり伊豆母だった。 長いこと遠子を探し回ったあげくの遠子との決別で、肉体的にも精神的にもぼろぼろに なっていた菅流を、伊豆母のみんなは癒してくれた。 今盾たちとじゃれあうのは楽しかったし、じっちゃんにどなられるのもうれしかった。 象子は弱った菅流の面倒をよくみてくれたし、いろいろな話もしてくれた。 そうやって癒されて、もう一度遠子に付き合う気になったから戻ってきたのに。 (肝心の遠子は、おれが象子に会いに帰ったと思っているんだからな) 菅流はため息をついて、地面に座り込んだ。 遠子のことを考えた途端、胸の鈍痛が激痛へと変わる。 (今ごろ遠子は小倶那の腕の中ってわけか・・・) 考えまいとしても、その考えはどうしても頭の中から追い出すことができなかった。 菅流はうずくまったまま胸の痛みをこらえた。 今、菅流にできることはそれだけだった。 そうするしか、なかった。 11、まどろみ 遠子の叫び声で菅流は目を覚ました。 遠子の寝床をのぞきこむと、遠子が夢にうなされていた。 「いや・・・いかないで・・・おいていかないで・・・」 「遠子」 菅流が遠子の肩に手をかけると、遠子は夢から覚めたようだった。 遠子はぼんやりと菅流を見た。 「菅流・・・わたしは間違っていたの?無理にでも小倶那をとめるべきだったの? そうすれば小倶那は今もわたしのそばにいたの?」 答えられずだまっている菅流に、遠子は言った。 「わたしだって本当は行かないでと言いたかった。でも、言ってはいけないと思った から・・・だから我慢したのに・・・」 「そうだな・・・」 菅流はゆっくりと手をのばして、遠子の頭に手を置いた。 その途端、遠子の目から涙がこぼれおちた。 「小倶那はもういないわ。どこにもいない。とうさまもかあさまも明ねえさまも角鹿も みんないなくなってしまった。武彦たちだって、わたしのためではなく小倶那のために ここにいるのだわ。もう私のまわりにはだれもいない・・・だれもいなくなってしまった・・・・」 泣きじゃくる遠子を、菅流はそっと抱き寄せた。 「泣くなよ。まだおれが残っているだろう。おれは死なない。遠子のそばにいるから」 そう言いながら、それが、自分が両親をなくしたときに祖父に言われたせりふだったことを 思い出した。 「そんなことを言っても、あなただってもうすぐ伊津母に帰ってしまうでしょう」 「それなら遠子も一緒に伊津母にくればいい」 菅流がそういうと、遠子は首を横に振った。 「ここにいれば、小倶那が帰ってきそうな気がするのだもの」 菅流はため息をついた。 そんな菅流のため息を、遠子は聞き逃さなかった。 「わたしのこと、ばかな子だと思っているのでしょう。でも、そう思っていないと耐えられない ほど苦しいんだもの。そう考えていないと、息さえできなくなってしまうんだもの」 絞りだすようにそうつぶやく遠子を、菅流はしっかりと抱きしめた。 そして遠子にささやいた。 「今は眠れ。何も考えずに眠れ。おれがここに・・・遠子のそばにいるから」 菅流が言うと、遠子は小さくうなずき、再び眠りについた。 遠子を寝かしつけると、菅流は腕組みをして座り込んだ。 このまま遠子を残して伊津母に帰ることなど到底できなかった。 (それならここに留まればいい・・・) ふいに、そんな考えが頭をよぎった。 菅流の帰りを待っている祖父には悪いが、ここにいれば誰に遠慮することなく遠子と 一緒にいられるのだ。 いつまでも。いつまでも。 その考えは、魅力的ではあった。 小倶那を失って傷ついている遠子を守りながら、一緒に生きる。 それもいいのかもしれない、と菅流は思った。 子どものときからあれほど呪文のように「伊津母で嫁とりをする」と言っていたのに。 遠子とずっと一緒にいられると考えると、嫁とりもかすんで思えた。 (小倶那が生きていればこんな悩みとは無縁だったのにな・・・) そして、小倶那が帰ってくるという遠子の言葉を思った。 もし、万が一小倶那が生きて戻れば、菅流は伊津母に帰ることができる。 だが、同時に遠子を失ってしまう。 どちらがいいのか、もうわからなかった。 (眠ろう・・・) 菅流は遠子に背を向け、上掛けの布をひきかぶった。 <最終話> 別れ 「いいえ、象子よ。白状しなさい、何度彼女をたずねたの?」 と遠子は楽しそうに言った。 おれは微笑んで適当に受け流した。 やっぱり遠子は気づいていない。ほんの少しも。 仕方ないのかもしれない、おれはこのとおりの男だし、豊葦原一のいい女を嫁にするのだと 豪語してきたのだから。 いつのまに遠子のことをこんなに大切に思うようになったのだろう。 初めはただの同情と暇つぶしだった。 伊津母でないどこかへ行ってみたかった。 女の子にはもてたし、けんかも負けなし。こわいものなんてなかった。 だが、遠子と一緒にいるうちに、おれはおかしくなった。 どんな美人より遠子のほうが大切だと思うようになってしまった。 おかしい、おれの好みは豊葦原一のいい女だ、こんなお子様じゃない。 そう、何度も自分で自分の気持ちを否定した。 でも、だめだった。 遠子はおれの気持ちにまったく気づいていない。 それでいい。小倶那が無事に戻ってきたいま、おれの気持ちを知らせたところで遠子を 悩ませるだけだから。 ただ、いつか、年をとってからでいい、おれのことを思い出してもらえたら、と思う。 本当に面倒見がいい性格だからというだけで、おれが遠子とずっと一緒にいたのか。 遠子を探し、小倶那と幸せになることを手伝ったのか。 それを少し思ってもらえればいい。 おれは遠子が幸せなら、それでいいから。 小倶那が死んだときは、本当に残念だった。 おれは小倶那が好きだったし、あいつになら遠子をまかせられると思っていたから。 だけど、小倶那が死んでから、おれは自分の中にひとつの希望が芽生えてしまうのを とめられなかった。 遠子とずっと一緒にいられるかもしれないと。 遠子は小倶那を忘れることはないだろう。 それならそれでかまわない。遠子を見守って、ずっと一緒に生きていきたい、そう思った。 雪とともに、小倶那が地上に戻ってきたとき、おれは少なからず衝撃を受けた。 おれと馬に相乗りしていた遠子は、小倶那の姿を見つけると、馬から下ろしてやろうとした おれの手を振り切って馬から飛び降り、小倶那に向かって駆け出した。 その瞬間何かが吹っ切れた。 伊津母に帰ろう、と思った。 遠子はここで小倶那と幸せに暮すだろう。 おれは二人とも好きだから、二人が幸せに暮せることは喜ばしいことだと思う。 でも、もうここにはいられない。 「なんなら、ずっとここにいてくれていいのよ。わたしたちといっしょに」 遠子は言った。 そうできたらどんなにいいだろうと思った。 でも、それができないことはわかっていた。 さすがのおれでも、それは無理だと思った。 「菅流」 遠子がおれに飛びついてきた。 「さよなら、菅流」 遠子は泣いていた。 おれは遠子の細い体を思い切り抱きしめた。 「ああ。またな」 そう言ったけれど、おそらくもう二度と会うことがないだろうということはわかっていた。 おれは遠子の体を離し、小倶那に向かって言った。 「遠子を頼むな」 「ああ」 小倶那は神妙にうなずいた。本当にさびしそうな顔をしていて、思わず笑ってしまった。 武彦たちにも別れを告げて、おれは彼らに背を向け歩き出した。 さよなら、遠子。 おまえはおれにとって、豊葦原一いい女だったよ。 さあ、伊津母に帰ろう。 家に帰って、今盾たちや象子に会って、たくさん話をしよう。 そして、じっちゃんの肩で、少しだけ泣かせてもらおう・・・。                (終) ☆ あとがき ☆ 冒頭でも書いたとおり、荻原先生が「初期の原稿では、遠子は菅流と小倶那の間で 揺れ動いていた」とおっしゃっていたことを知って以来、すがとこ妄想が大爆発状態でした。 友人に白鳥を読ませたところ、「おもしろかった」と言ってくれたのですが、「菅流に悩みが なさすぎる」とも言われました。 でも、菅流もひと知れず悩んでいたと思います。 遠子のことを、本当に大事に思っていたのだと思います。 そうでなかったら、あんなに最後まで遠子についてきてくれなかったのではないかと。 そうは言っても、結局お人よしな菅流が、大好きです。                         ぴっころ



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