風神&樹上日記 「相似」  (夏郎の日記) 





それは、いつもの帰り道だった。
生徒会の仕事を終えて、帰宅する途中。

自宅の最寄り駅で電車を降りたおれは、家へと急いだ。
とにかく腹がへっていた。

今日の晩御飯はなんだろう、と考えたときだった。

極彩色のなにかがおれの目の前に不意に現れ、どさりと音をたててアスファルトの地面を
転がった。

(えっと・・・・ヒト・・・人だ)
混乱しながらも、状況を観察する。

道路に倒れているヒトは女の子で、着物を着ていた。
着物と言っても、お正月に着たりするような着物じゃなくて。

上の着物は白と赤、下の袴は赤、頭には黒い烏帽子(源氏物語の授業のときに
おひいさんに覚えさせられた)をかぶっている。

とりあえず、女の子が無事か確認しようと思い、おれは声をかけた。

「あのー。大丈夫ですかー?」
おれの声に、倒れていた女の子が顔をあげた。
ぼんやりとした表情をしているが、特に怪我をしたというわけではなさそうだ。

(なんだっけ、こういう格好してる女のヒトのこと、ナントカって言うって、おひいさんが
教えてくれたような・・・)

考えているうちに、少しずつ記憶が呼び覚まされてくる。
説明してくれたおひいさんの声がよみがえる。
あれは、たしか校外学習で鶴岡八幡に行ったときだ。
義経の恋人の静御前がここで舞を舞ったんだよ、とおひいさんは言っていた。

「・・・わかった!あんた、白拍子だ!そうだろ?」
思い出したことがうれしくて、おれが大声で言うと、少女は少し戸惑ったように
首をかしげてから、ゆっくりうなずいた。
それから、急に、はっとしたように辺りを見回した。
「・・・草十郎!」
「そうじゅうろう?」
「上皇様はどこに?」
「え?」
「ああ、どうしたらいいのかしら」
女の子は袖をもみ絞り、唇をかみしめてうつむいた。

おれはまた混乱した。
女の子が何を言っているのか全くわからなかった。

とりあえず、せいいっぱい冷静な声で言ってみる。
「おれは夏郎。あんたは?」

おれが名前を尋ねると、女の子は顔をあげてまっすぐにおれを見た。
小さな白い顔、黒目がちでまつげの長い目、小さな鼻と口。
すごい美少女だということに、おれはいまさら気がついた。

女の子は小さな声で悲しげに言った。
「いとせ。わたしは糸世よ」
そして、名乗るだけ名乗ると、精魂つきはてたようにぐったりと道路に
横たわってしまった。
「ちょ、ちょっと待った!」
あわてて起こそうとしたが、すでに糸世は意識を手放してしまっていた。
「まいったな・・・」
おれは頭をかいた。

    *                   *

おれが糸世を運んだ公園におひいさんがやってきたのは、それから30分後だった。

「早いね」
おれが言うと、おひいさんはほおをふくらませた。
「当たり前でしょう。携帯に電話がかかってきたかと思ったら、いきなり大声で
『おひいさん、白拍子がきた!』だもの」
「ごめん。なんかおひいさんなら白拍子に詳しそうな気がして」
「もういいよ。それより女の子はどこ?」
おひいさんに訊かれて、おれは公園の植え込みの陰に隠した糸世を見せた。
糸世はまだ目を覚まさないままだ。

「うわー!これは本当に白拍子だね」
おひいさんは心底驚いたようだった。
「だからそう言ったじゃん、電話で」
「いや、てっきり江藤くんの見間違いかと」
「ひでえ」

おひいさんは糸世の着物に触れた。
「これは絹だよ。装束から何から、何もかも本格的だし、ただのコスプレでもなさそうだね。
まあ、コスプレの衣装でもすごく本格的なものもあるらしいけど」
「なに、コスプレって」
「知らないの?」
「うん」
おれがうなずくと、おひいさんは少し儚げに微笑んだ。
「知らないなら知らないままでいいよ。この世には知らなくていいこともあるしね」
「なんだよ、それ」
おれは反論しようとしたが、おひいさんの手に遮られた。
「それより、この子、なんとかしてあげないと。いつまでもこんなところに寝かしていたら
体にもよくないよ」
「ああ」
おれはうなずいた。
「それなら考えてる。とりあえず病院に運ぼうかと思って。一応入院ってことで。おれんちとか
おひいさんちに連れて帰るのは無理でしょ?」
「入院って・・・」
おひいさんは絶句した。
「白拍子の格好をしたどこも怪我をしていない女の子を気軽に入院させてくれる病院なんて、
あるとは思えないんだけど」
「あるよ」
おれは胸を張った。
「おれの父さんと母さんがやってる病院」

         *                              *

両親に事情を話し、気を失ったままの糸世を預けると、おれはおひいさんを駅まで送りに出た。
「大丈夫かな、糸世さん」
おひいさんは糸世のことが本当に心配そうだった。
おひいさんはいつもそうなのだ。人の心配ばかりしている。
「まあ、どっちにしても話は目が覚めてからだよ」
「そうだね」
おひいさんはうなずいた。
「それにしても、江藤くんの家が代々続く医者の家系だったなんて初めて知ったよ。ご両親とも
お医者様だし、ばりばり理系なんだね」
「そうだよ、だから古典や現代文は苦手なんだって」
おれが言うと、おひいさんは笑った。
「糸世さん、早くよくなって家に帰れるといいね」
「うん」
おれも笑ってうなずいた。

   *                  *

その日から、おひいさんは毎日糸世の見舞いに来るようになった。
どうしても心配で気になるらしい。

そんなある日、おひいさんがえらく真顔でおれに話しかけてきた。
「あのね、江藤くん、笑わないでくれる?」
「なに」
「うん、あの、わたしね」
おひいさんは散々逡巡した挙句に、やっとその一言を口にした。
「わたし、糸世さんが過去の世界からきたんじゃないのかなって思うんだ」
「過去?」

おれが笑わなかったので、おひいさんは安心したように話し続けた。
「うん、そう、過去。着物もそうだけど、糸世さんが話すことをきいていると、糸世さんが
過去からきたとしか思えないの。時代は・・・たぶん、平安末期。後白河上皇の時代」
「上皇?」
おれは記憶をたどった。
「ああ、そういえば、初めて糸世に会ったときに、上皇様がナントカとか言ってたような」
「やっぱり!」
おひいさんは目を輝かせた。
でも、すぐにしょんぼりして言った。
「はしゃいでちゃいけないよね。糸世さん、泣いてばかりなの。帰りたいって。草十郎って
いう人に会いたいんだって」
「そっか・・・」

「どうしたら帰してあげられるのかな?過去からくることができたんだから、きっと帰る道
だってあるはずなのに」
真剣に悩んでいる様子のおひいさん見て、おれは思わず苦笑した。
「ほんと、他人事に根をつめるのな、上田って」
「それ、前にも言われたことがある気がする・・・」
「とりあえずさ、糸世がしたいってことをさせてみようよ。父さんたちは記憶障害かも
しれないとか言って検査だのなんだのしてるけど、おひいさんの言うことが本当なら、
検査なんて意味がないよな」
「わたしが言うことを信じるの?糸世さんが過去から来たという話を?」
おひいさんは驚いたように目を丸くした。
「江藤くんは笑わないなとは思ったけど、そんなに全部信じてくれるとは思わなかったよ」
心底意外と言う顔をしたおひいさんに、おれは微笑んで見せた。

        *                *

糸世に何がしたいかをきいてみると、木々がたくさん生えているところで舞が舞いたいと
いうことだった。

「木がたくさんあるところってどこだ?山の中とか?」
「山って言っても、糸世さんのあの装束じゃ山登りは無理だよ」
「あ!」
おれは叫んだ。
「御苑は?あそこなら近いし、道も整備されてるから糸世でも大丈夫だし、木もいっぱいある」


母さんの車に乗せてもらって、おれとおひいさんは糸世と一緒に御苑へ向かった。
糸世は、車が鉄でできているとしきりに感心していた。
帰りは歩いて戻るからと、仕事のある母さんを帰して、おれたちは糸世が気に入る場所を探した。

「ここで舞ってもいい?」
池のそばまでくると、糸世が少し微笑んでそう言った。
「いいよ。じゃあ準備しようか」
おひいさんが満面の笑みで答える。

おひいさんいわく、糸世の笑顔は天下一品らしい。
おれは普通にかわいいとしか思わないのだけど、おひいさんは糸世の笑顔を見ると何でもして
あげたい気持ちになるらしい。
(「糸世さんの笑顔を見てなんとも思わないなんて、江藤くんおかしいよ」とまで言われた・・・)

おひいさんに手伝ってもらって、持ってきた白拍子の衣装を身に着けた糸世は、何の音楽もなく
静かに舞い始めた。

糸世の舞はすごかった。
おれもおひいさんも口もきけずに見ほれていた。

舞がひとさし終わり、やっと口がきけるようになったおれとおひいさんは、口々に感想を述べた。
「なんか、おれ、ちょっと感動した」
「ちょっとどころじゃないよ。すごかった!」
おれたちが喜んでいると、糸世はうっすらと微笑み、そして、また舞い始めた。

今度の舞は先ほどとは違った。
空気が、何かが、大きく揺さぶられているような感覚。
(なんだ、これ・・・)

そして、気がつくと、どこからか笛の音が聴こえてきていた。
いつの間にと思って顔を上げると、糸世の向こうに一人の男が立っていた。
その姿はゆらゆらと陽炎のようにゆらめいている。

男は紺色の着物を着ていて、背が高く、男にしては長い髪を頭のうしろでくくっていた。
役者でもしていそうな顔立ちをしていて、一生懸命笛を吹いている。
そして、その目は確かに糸世に向けられていた。

舞を舞っている糸世もその男に気づいたようだった。
糸世がうれしそうな、でも切なそうな顔をした。

(あの男が、草十郎・・・・)

やがて笛の音はやみ、男のまぼろしは消えた。

「・・・見た?」
「・・・ああ」
草十郎の姿が見えたと喜ぶ糸世の前で、おれとおひいさんはただただ驚愕していた。

        *                *

その日から、糸世は毎日御苑に通い始めた。
おれやおひいさんが学校に行っている間も、毎日御苑に行っては舞っていると
母さんから聞いた。
糸世の言うことには、草十郎に会える日はめったになく、会えない日の方がずっと
多いらしい。
それでも、糸世はただただ舞い続けているのだった。


ある日、おれとおひいさんが糸世の病室を訪ねると、糸世が輝くような笑顔で飛び出してきた。
「ひろみ!夏郎!見て!」
その手にあるのはまぶしいばかりの金の扇だった。
扇には繊細な絵も施してあり、扇の価値などわからないおれにも、とんでもなく高価なものだと
いうことはわかった。

「これ、どうしたの?」
おひいさんが尋ねると、糸世は微笑んだ。
「今日、草十郎がこれを私に向かって投げてくれたの。この扇があれば、もっと上手く舞える。
きっと帰れると思うの。扇がこちらにきたのなら、わたしだってあちらに行けるはずだもの」
糸世は見違えるように生き生きとしていた。
それまでは口数が少なかったのだが、よくしゃべるようになった。
こちらが本当の糸世なのに違いなかった。

     *              *

よく晴れた日曜日、おれとおひいさんはいつものように糸世と御苑へ出かけた。
糸世の袴はどろどろに汚れてしまったので、母さんがクリーニングに出していた。
「大丈夫、水干はあるもの」
糸世は微笑むと、おひいさんに借りた桜色のワンピースの上に水干を着た。

おひいさんが飲み物を買いに行ってくれている間、おれは木にもたれながら糸世の
いつもの質問に答えていた。
糸世には「電球」も「蛍光灯」も「車」も「病院」も、この世界のなにもかもが不思議らしい。
それに答えるのはいつもおれの役目だった。

質問が途切れて一息ついたとき、ふいに糸世が言った。
「夏郎はどうしてわたしを助けてくれたの?」
「え」
おれが戸惑うと、糸世は不思議そうに言った。
「だって、この世界の人とは違う格好をしたわたしのような女が倒れていたら、
無視する人だってきっといると思うの。それか、なにか目的を持って近づくか。
でも、夏郎はそのどちらでもなかったから、どうしただろうって思ったの」
「どうしてって言われても・・・」
おれは困惑した。
「おれはただ、おひいさんが糸世みたいな格好をした人のことを白拍子って
言うんだって教えてくれたのを思い出して、それで・・・」
おひいさんが戻ってきたのに気づいておれが口ごもると、糸世は何かわかったかのように
深くうなずいた。
そして、おひいさんとおれの両方を見つめてから言った。
「ありがとう、助けてくれて。夏郎にも、ひろみにも、夏郎の家族にも、本当に感謝してる」

    *         *

おひいさんが買ってきてくれたお茶を飲んでから、糸世は御苑の、いつもの気に入りの
場所に立った。

糸世は天を見上げた。
「今日はできそうな気がするの」

おれもおひいさんも何がとはきかなかった。

糸世は金色に輝く扇をぱらりと開くと、舞い始めた。
糸世がすべての思いをかけて舞っているのがわかった。
今までの糸世はどこか他人のために舞っていた。
御苑で舞っているときも、いつも、草十郎という男のために舞っている様に見えた。

でも、今日の糸世は違った。
今日の糸世は自分のために舞っていた。
自分のために、草十郎に会いたいという糸世自身の願いだけをいっぱいにこめて、
舞っていた。

おれは先ほど糸世にたずねられた質問を思い返していた。

どうして糸世を助けたのか。

それはもしかしたら、糸世がどこかおひいさんに似ている気がしたからかも
しれなかった。
顔は似ていないのだけど、何かが似ている気がしたのだ。

(他人のために一生懸命になるところなんかは似ているような・・・)

おひいさんも他人事に根をつめる性質だ。
でも、糸世はいま、自分のためだけに舞っている。
おひいさんもいつか変わるのだろうか、糸世のように。


おれがそんなことを考えていたとき、またあの笛の音が聴こえ始めた。
見ると、糸世の向こう側に、草十郎が立っていた。
今日の草十郎は、いつか見た紺の着物ではなく、まばゆい白い着物をきていた。
笛を吹く草十郎からも並々ならぬ決意が感じられた。

糸世は舞を舞いながら草十郎の方に手を伸ばす。
草十郎も、その手をとりたくてたまらないというように、糸世を見つめる。

そんな時間が永久に続くかと思われた、そのときだった。

ふいに笛の音がやんだ。
草十郎が笛を手放し、糸世に向かって手をさしのべていた。
糸世も草十郎に手を差し伸べた。
そして、ふたりがしっかりと抱きしめあったとき、すべてが消えた。



おれとおひいさんは、無言でその場に立ち尽くしていた。

だいぶたってから、おひいさんがのろのろとおれの方に顔を向けた。
「帰れた・・・んだよね?」
「・・・たぶん。抱き合ってたし、糸世うれしそうだったし、そうだと思う」
「・・・だよね?」
おひいさんはこわごわとかみ締めるように、帰れたと口の中で繰り返した。

「どうしよう、江藤くん、わたしうれしい」
「え?」
「ごめん、わたし泣くから。気にしなくていいからね」
すでに泣いている顔でそういうと、おひいさんは声をあげて泣き始めた。
それは号泣に近かった。

帰れた。帰れた。よかった。帰れた。

ただただそう繰り返しておひいさんは泣き続けた。


ひとしきり泣いて、やっと落ち着いたらしいおひいさんに、おれはおそるおそる声をかけた。
「おひいさん、大丈夫?」
「うん」
おひいさんは少し目を腫らした顔で、それでも笑顔で立ち上がった。

「驚かせてごめんね」
「いや、糸世が帰れて本当によかったよな。でも、おひいさんがそんなに感激して泣くとは
思わなかった。本当に他人事に根をつめるんだな」
おれが言うと、おひいさんは苦笑した。
「わたしにも帰りたいところがあったから、ついつい感情移入しちゃってたのかもしれない。
そこはもう二度と帰れない場所で、だから余計に、ね」
「なに、おひいさんってやっぱり月からきたかぐや姫だったんだ」
「違うよ」
おひいさんは笑った。
月じゃなくてアラビアンナイトなんだけど、とおひいさんが小さくつぶやいたのがきこえた
けれど、おれに聞かせるために言ったわけではないようだったので、おれはあえてなにも
言わなかった。


「古典なんて役に立たないと思ってたけど、糸世のことを理解するのにはずいぶん役に
たったよ。まさかこんな形で役に立つ日がくるとは夢にも思わなかったけど」
おれが言うと、おひいさんはにっこりと笑った。
「それはよかったね。次の授業からは平治物語がはじまるし、ちょうどいいね。
がんばってね」

おれは仏頂面でうなずいた。
「うん、がんばるよ。おひいさんもご指導よろしう」
おれが言うと、おひいさんは少し眉をしかめてから、しかたないという風に明るく笑った。


                                 (終わり)







<コメント>

7/10 誤字・脱字など、少しだけ直しました。
    まだまだツッコミどころの多い駄文ですが、自分の中の風神愛と樹上愛が
    高まった気がしています。

6/28 一切下書きなし、推敲なしの一発書きです。
    いっきに打ったので腱鞘炎になりそうです・・・(痛)
    完全に自己満足な二次創作ですが。
    読んでくださった方、ありがとうございました(そして、駄文でごめんなさい)

   (ブログの方に書いたのですが、文字数オーバーのため、いきなりアップと相成りました)










TOPへ戻る