苑上の日記1・竹芝到着
at 2001 09/21 20:27 編集

今日、やっと竹芝に着きました。
都からは本当に遠かったけれど、阿高の言っていたとおり、本当にすばらしいところでした。

阿高の家族に会うのはとっても緊張したけれど、みなさんとても気さくな方で、特に美郷さんには初対面とは思えない
ほど親しくしていただきました。

食事の後、阿高と藤太と一緒に阿高のお父様のお部屋に行きました。
いままであったことを二人が話すのを、わたくしは横で聞いてました。
藤太が怪我をしたことを話した時、お父様はつらそうになさっていました。

それから、全て話し終わってから、わたくしの話になりました。
阿高がわたくしが内親王であると言うと、お父様はびっくりしていらっしゃったけれど、すぐに、
「よくきてくれましたね。阿高をよろしく頼みます」
とにっこりされました。

竹芝の方々にはご迷惑をかけたくないです。
明日には追っ手がくることでしょう。
追っ手にはわたくしから話して少しでも竹芝に迷惑がかからないようにしなくては。
仲成様が追っ手だという噂もあるようです。
本当ならうれしいのだけど・・。

(付記)
わたくしはお父様にすっかり阿高のお嫁さんと認識されているようで、少し恥ずかしかったけれど、うれしかったです。


 



阿高の日記1・竹芝到着
at 2001 09/21 21:44 編集

今日、やっと竹芝に着いた。
なつかしくてたまらなくて、胸がつまった。
おれはずっとここに帰りたかったんだと実感した。

苑上も少し旅疲れがあるようだが、とても喜んでいる。
道中、藤太の傷が痛まないかも心配だったが、ほとんど回復しているようで、ほんとうによかった。

おれたちが家に帰ると、美郷姉が飛び出してきて、おれたちを抱きしめてわんわん泣いていた。
気丈な美郷姉が泣くなんて・・・。
申し訳なく思ったけど、家に帰ってこられて本当にうれしかった。

夕飯の後、親父さまの部屋に藤太と鈴と3人で行って。これまでのこと、勾玉を手放したこと、それから鈴が皇女である
ことを話した。
親父さまは多少驚いていたようだったが、予想通り、あっさり鈴を受け入れてくれた。
よかった。
ほっとした。

話が終わると、藤太はさっそく千種のところに行ってしまった。
今夜は帰らないらしい。

庭におりて、クロとちびクロを会わせてみた。
ちびクロのほうがクロよりでかくなってしまっていて驚いた。

部屋に戻ろうとすると豊高兄に呼び止められた。
「あんなかわいい人形のような子を連れて帰るなんて、やるな阿ー坊」
とにやにやしていたので、一発殴っておいた。

部屋に戻ると、美郷姉と鈴が2組布団を敷いていた。
美郷姉いわく、おれと鈴の分だという。
鈴は、旅の間ずっとおれたちの横で眠っていたので、なんの疑問も感じないらしい。

おれがふくれていると、美郷姉がにやにやしながら、
「ごゆっくりー」
と言って出て行った。

困った。
鈴は当然ここで寝るものだと思っているようだし、出て行けとも言えないし、どうしたらいいんだろう・・・・。

とりあえずすごく眠いので寝ることにしよう。
あとのことは、また明日・・・。




 



苑上の日記2・到着翌日
at 2001 09/22 03:51 編集

朝、目が覚めると、お屋形が大騒ぎでした。
早朝に追っ手が到着していたのです。
予想どおり仲成さまでした。

わたくしは仲成さまと二人でお話しました。
わたくしはもうすっかり竹芝が好きで、ずっと阿高と一緒にここで暮らしたいのだと言いました。
父上が罰を科されるなら、竹芝にではなく、苑上に罰をくださいと言いました。
すると、仲成さまは、
「お幸せに」
と笑ってただ一言おっしゃって、軍を率いてお帰りになりました。
あまりにあっさりお帰りになったので、お屋形の人たちもみんな驚いたようでした。

美郷さんは仲成さまがあまりにお美しいので、
「都にはあんなきれいな人がいるのね」
とびっくりしていました。



午後になると、昨夜阿高と藤太が戻ってきたということがあっという間に竹芝中に知れ渡ったみたいで、本当にたくさん
の人たちがお屋形にやってきました。
ほとんどは女の子でした。

阿高は、牧監の田島さんという人とずいぶん長いことうれしそうに話し込んでいました。
わたくしも紹介してもらいました。
田島さんは口もとをひねるように笑って、
「ほほう、あんたが阿の字の嫁さんか、ずいぶんかわいらしい子だな」
と言いました。

田島さんは、今度阿高と一緒に子馬を見においでと言ってくれました。
子馬!
わたくしはすごくすごくうれしくなって、何度もお礼を言いました。

女の子たちは藤太がいないので、みんな阿高のところに集まってきました。
わたくしは、阿高が無愛想なのは知っていたけれど、女の子に本当に冷たいので、びっくりしてしまいました。
あんまり冷たいので、
「みんな心配してきてくれたのに」
とわたくしがいうと、阿高は、しかたなくという感じで、
「みんなに心配かけてすまなかったな」
と言いました。
「阿高、この子がお嫁さんなの?」
と女の子がきくと、阿高は、
「ああ、そうだ。鈴っていうんだ。仲良くしてやってくれ」
と言いました。
そして、さっさと奥にひっこんでしまいました。

阿高が行ってしまうと、みなさん口々に、
「がんばってね」
「阿高はあんなやつだけど、面倒みてやってね」
「神隠しだと思ってあきらめてたけど、また目の保養ができるわー」
「あたしの彼氏に怒られちゃうけど、阿高って見てるぶんにはいいわよね」
「実際付き合うの大変だと思うけどがんばってね」
などと励ましてくださいました。
そして、今度、一緒に野草摘みに行こうと誘っていただきました。
竹芝のかたは本当にいい方ばかりだなと思いました。

(付記)
阿高がわたくしのことお嫁さんって認めてくれてうれしかったです。





 



阿高の日記2・到着翌日
at 2001 09/22 03:52 編集

今日、朝、追っ手の藤原仲成がきたらしい。
そして、あっという間に帰って行ったらしい。
なにしろ、まだおれが寝てる間にすんでしまったのでよくわからない。

鈴はきっと大丈夫だと言っている。
まあ、わざわざ仲成がくるぐらいだから、そうなのかもしれない。
まだどうなるかはっきりとはわからないけれど。

午後、牧監の田島がきてくれた。
子馬を見に来いと言われた。
おれと藤太が二十歳になるときに三歳馬になる子馬たちは元気だろうか。
いや、あいつらはもう子馬じゃないのか。
今いるのは、次の年の子馬だろう。
なんにしても、ひさびさに馬たちを見にいける。

田島が帰ると、待ち構えていたかのように、女に囲まれた。
口々にわあわあ言っていてよくわからない。
黙っていると、鈴が横から俺の袖を引いて、
「みんな心配してきてくれたのに」
と文句をいうので、一応心配をかけたことをわびた。
女のひとりが、
「この子が阿高のお嫁さん?」
と、尋ねてきた。
何を当たり前なことを聞くのだろうと思いつつ、そうだと言った。

藤太は今夜も帰らないようだ。
気持ちはわかるが、そろそろ日下部のほうにもおれたちが戻ってきたことが伝わるだろうに。
真守たちがいきりたつ前に千種をさらってこなきゃならないな。
また騒がしくなりそうだ。

藤太が帰ってこないのをいいことに、今夜も美郷姉は鈴の布団をおれの横に並べて敷いている。
鈴は、明日は子馬が見にいけるとはしゃいでいる。
鈴がもうちょっと大人になるまで、おれたちの関係は変わらないだろうから、問題ないのかもしれないが。

おれが昨夜のようにふくれっつらをしなかったので、美郷姉は、
「もう、からかいがいのない子ねえ」
とおれの背中をひとつぶってから出て行った。

鈴はもう布団にもぐりこんでいる。
「阿高、手をつないで寝るのよ」
とにこにこしている。

これはこれで幸せなのかもしれないと思う。

・・・眠い。
もう寝ることにする。



 



苑上の日記3・子馬
at 2001 09/21 22:57 編集

今日は、阿高と一緒に牧に子馬を見に行きました。

朝、美郷さんが村の女の子と同じような着物を着せてくれました。
木綿という生地でできているそうです。
絹よりさっぱりしていて、着心地もよく、動きやすくて、とても気に入りました。
色は私の好きな薄い紅色でした。
おそろいの色紐で、髪を背中で一つにくくってもらいました。
着物は、昔、美郷さんが着ていたものだそうです。

昼餉用の、おむすびを持たせてもらって牧へ出発しました。
荷物は阿高が持ってくれました。
阿高と手をつないで、歩いていると、少し前に都で、もう一生阿高とは会えないのだと、鬱々としていた日がうそのよう
でした。

子馬はとてもかわいくて、見ていて少しも飽きませんでした。
田島さんが熱心に馬の世話をしていました。
きれいな馬がたくさんいました。
でも、阿高の黒馬姿よりきれいな馬はいませんでした。

阿高と一緒に食べるおむすびはとてもおいしかったです。

帰り道、わたくしは石で少し足の裏を切ってしまいました。
わたくしは、黙っていたのですが、すぐに阿高に気づかれました。
阿高は、
「しょうがないやつだな」
と言って、わたくしをおぶってくれました。
わたくしの足の裏も、早くみんなのように固くなればもっと歩けるのに。
わたくしが落ち込んでいると、阿高が後ろ手で頭をぽんぽんとしてくれました。

傷が治ったら、足の裏を鍛えて、がんばりたいと思いました。

(付記)
阿高には迷惑をかけたけれど、ひさしぶりに阿高におぶってもらって、うれしかったです。


 



阿高の日記3・子馬
at 2001 09/21 23:31 編集

今日は鈴と牧に子馬を見に行った。

鈴は美郷姉のお下がりの着物をきていた。
鈴が女の格好をしているのを見るのはまだ2度目だ。

行きは二人で手をつないで歩いた。
昔のおれだったら想像もつかないことだ。
女の子と手をつないで歩くなんて。
なんだかおかしくなって笑ってしまったら、鈴が不思議そうにおれを見ていた。

ひさびさに見る馬たちはやっぱりいい。
都の馬たちよりも、のびのびと走り回っている。
本当に竹芝に帰ってきたんだ、と実感がわいた。

帰りに鈴が石で足の裏を切った。
忘れていた。
こいつには草履が必要だ。
本人は足の裏を鍛えると意気込んでいたけれど。

鈴を背負うのは、ずいぶんひさしぶりだった。
前に背負った時は、すっかり男だと思っていたから何も気にしなかったが。

屋形に帰ると、豊高兄が、
「聞いたぞ、阿ー坊。鈴ちゃん背負って帰ったんだってな。やっぱりなあ、奥手な奴ほど、一度はまると深いんだよ
なあ、うんうん」
とにやついていた。
殴ろうとしたが逃げられた。


藤太がひさびさに帰ってきた。
上機嫌だ。
おれの肩に手をかけて、いきなり何を言うかと思えば、
「明日の夜千種をさらいに行くからよろしくな」
などと言う。
ため息をつきたくなったが、手伝わないわけにはいかない。

明日は忙しくなりそうだ。
今のうちによく寝ておこう。

藤太は豊高兄と一緒に寝るらしい。
おれと鈴に気をつかっているようだけど・・・今のところ無用の気遣いだな。 



苑上の日記4・千種をさらいに行く日
at 2001 09/22 03:27 編集

今夜、藤太と阿高と広梨さんが、3人で千種さんをさらいに行くそうです。
うまくいくのかとても心配です。
日下部の真守という人には、阿高は以前矢を射かけられたこともあるそうです。
万が一阿高たちに矢が当たったら、そう考えるととても怖くなってしまいます。

阿高たちは作戦をたてると言って、今日はあまりかまってくれませんでした。
それで、今日は美郷さんのお手伝いをして一日過ごしました。
でも、わたくしは炊事も掃除も洗濯もしたことがないので、ほとんど役に立ちませんでした。
美郷さんが、
「鈴ちゃん、明日から花嫁修業しましょ!」
と励ましてくださいました。
阿高の立派なお嫁さんになるためにがんばりたいと思います。

それにしても、わたくしは今まで本当に何もしてこなかったのだなあ、と思います。
何でも人にしてもらって、当たり前の生活をしていたのでした。
これからは変わっていきたいと思います。
まずは炊事と掃除と洗濯ができるようになりたいです。

それにしても、本当に阿高が心配です。
今夜は阿高がいないので、美郷さんが一緒に寝てくださることになりました。
美郷さんはあの子たちなら大丈夫よと言うけれど、やっぱり心配です。
もし阿高が死んだらと考えただけで涙がじんわり出てしまいました。

どうか阿高たちが無事に帰ってきますように…。

 



阿高の日記4・千種をさらいに行く日
at 2001 09/22 03:05 編集

今夜、日下部に千種をさらいに行く。
日下部のほうには、まだおれたちが帰ってきたことはあまり知られてないらしい。
それなら、千種をさらうのはそれほど難しくはないのかもしれない。
藤太は
「先手必勝。楽勝楽勝」
とてんでのんきだ。

本当はこんなに突然行くのは嫌だったけれど、藤太が、
「阿高、鈴をさらうのを手伝ってやったのは誰だ?」
と恩をきせてくるのでしかたない。

前に真守に矢を射かけられたことを鈴にぽろっと言ってしまった。
それ以降、鈴はずっと目をうるませて心配そうにしている。
なんだか申し訳ない気持ちになる。

「大丈夫だよ」
と笑ってみせたら、少しは安心したようだったが、やはり目は不安そうだった。
頭を抱きよせてなでてやった。

鈴がつらそうな顔をすると、なんだかむしょうに気になってしまう・・・。

早くすませて、鈴を安心させたい。
 



阿高の日記5・にぎり飯
at 2001 09/22 03:10 編集

夜更けに、日下部に向けて出発した。
明るいうちに、藤太が田島から馬を3頭借りてきていたので、それに乗った。

広梨に馬をまかせて、藤太と二人で千種のところに忍び込んだ。
千種をつれだすところまではうまくいったが、小屋を出たところで偶然、見回りをしていた真守たちに見つかった。
前にもこんなことがあった。全く同じだった。

だが、今回は千種を連れているところが違った。
すばやく逃げることは難しかったけれど、やつらが矢を射かけることはできなかった。

おかげでなんとか馬に乗り逃げることができた。
「どこが楽勝だよ」
とおれは怒ったけど、藤太はついに千種をさらえたことがうれしくてたまらなかったようで、
「すまんすまん、悪かったな」
とにこにこして千種を抱きかかえていて、ろくに聞いていないようだった。


さっき、やっと屋形に帰りついた。
広梨は自分の家に戻った。
藤太はおれたちの部屋に千種と行ってしまった。
今夜ばかりは遠慮するべきだろうと思ったので、おれはあきらめて土間の上がり口で寝ることにした。
すると、誰かが起きてくる気配がした。
「阿高?帰ったの?」
鈴だった。
鈴はおれの顔を見るなり飛びついてきた。
「よかった、阿高、無事だったのね」
おれが頭をなでてやると、鈴は涙をぬぐって顔をあげた。
そして、
「おなかすいたでしょう、阿高。冷ご飯でよいのなら、おむすびを作るわ。今日、美郷さんに教わったばかりだから
大丈夫よ」
と、さっそく櫃を持ってきた。

そしていま、そこで鈴がにぎり飯をにぎっている。
なんだか形がいびつだけれど、きっとうまいにぎり飯になるだろう・・・。



 



苑上の日記5・にぎり飯
at 2001 09/22 03:25 編集

今朝、明け方、阿高たちが帰ってきました。
無事に帰って本当にほっとしました。

阿高におむすびを作ってあげました。
昨日、美郷さんに教わったばかりだったのに、なんだかバラバラになってうまくいきませんでした。
結局、押しつぶしたようなおむすびになってしまいました。
でも、阿高がうまいと言って食べてくれたのでよかったです。


阿高は疲れたみたいで、昼前くらいまで寝ていました。

午前中に、藤太がお父様に千種さんのことを話しに行きました。
お父様に、
「まったく、お前たちは嫁を連れてくるのも同時なのか」
と笑われたそうです。

午後、日下部のこわそうな人たちが、千種さんを返せと言ってやってきました。
でも、お父様が出て、話をつけてくださったので、みんなあきらめて帰って行きました。
お父様はすごいです。
雰囲気が少し、わたくしの父上に似ている時もあるなと思いました。

お父様は、これを機に、将来的に離れ二棟を、それぞれ阿高と藤太に譲るとおっしゃいました。
そこがわたくしたちの家になるということだそうです。
なんだかわくわくしてとても楽しみです。

(付記)
今日は、美郷さんと掃除をしました。
お屋形の広い廊下に雑巾がけをしました。
美郷さんにほめられました。
うれしかったです。


 



苑上の日記6・千種さん
at 2001 09/28 18:02 編集

昨日はばたばたしていたので、今日初めて千種さんとお話することができました。
知的な感じのするきれいな方でした。

わたくしに優しくしてくださいました。
藤太には手厳しいこともおっしゃっていましたが、厳しいことを言いながらも、目はとても優しくて、本当に藤太のこと
が好きなんだなと思いました。

そういえば、わたくしと阿高はどんな風に見えているのでしょう?
千種さんと藤太のように仲良く見えたらいいなと思います。


千種さんは織物がとてもお上手だとみんなにききました。
千種さんはこれからは竹芝の人のために機を織るとはりきってらっしゃいました。
すごいです。
千種さんは、織物をすることで竹芝の役に立つことができるのです。
わたくしには何ができるのでしょうか。
わたくしも何か竹芝のお役に立ちたいなあと思いました。
まずは、やはり炊事・掃除・洗濯をがんばるつもりです。
掃除と洗濯はだいぶうまくなりました。
一番難しいのは炊事です。
美郷さんたちは本当に手際よくおいしいものをこしらえるので,感心してしまいます。
わたくしも早くあんなふうになりたいです。

そうそう、千種さんのことでした。
藤太は、お父様が下さるとおっしゃっていた西の離れに千種さんのための機織り部屋を作ると言って、はりきっています。
藤太と千種さんはこれから基本的に離れに住むことになるそうです。
なんだか大人です。
すごいです。
わたくしと阿高は相変わらず、お屋形の、藤太と阿高の部屋だったところに寝ています。
わたくしはまだなんにもできないので、離れにはとても住めません。
もっともっと美郷さんにいろいろ教えていただいて、一人前の女の人になりたいです。
畑仕事も覚えたいです。

そして、早く阿高の立派なお嫁さんになりたいです。

(付記)
賀美野は元気でいるでしょうか。
わたくしがいなくなって寂しがっていないでしょうか。
兄上には仲成さまがいらっしゃるけれど、あの子にはだれもいないのに・・・。
千種さんの知的な瞳を見ていて、ふいに賀美野のことを思い出しました。



 



阿高の日記6・千種
at 2001 09/28 18:32 編集

藤太が千種と離れに住むらしい。
千種の機織り部屋を作るのを手伝えと言われた。

手伝うのはかまわないが、鈴にかまってやれなくなるのが気になる。
鈴が気楽に話せるのは、いまのところ美郷姉と藤太とおれくらいだ。
藤太は千種のことで頭がいっぱいだし。
美郷姉はずいぶん鈴によくしてくれているけれど、一日中鈴についていることなどできるはずがない。

鈴には寂しい思いをさせたくない。

でも、鈴に藤太の仕事を手伝うと言ったら、
「じゃあ、これから毎日お昼におむすびを作って持っていきます」
とはりきっていたから無用の心配なのかもしれない。

鈴に何をしてやったらいいのか、何をすれば鈴が喜ぶのかよくわからない。
藤太が昔女の子にしていたように、野の花をつんで持っていってやればいいのだろうか。
でも、鈴は皇女だったのだから、いつも立派な花をかざっていたのだろう。
そんな鈴に野の花をやっていいのだろうか。
鈴は何を喜ぶのだろう。
よくわからない。

藤太に相談したら、
「やっと阿高もそういうことを悩む年頃になったか」
とにやついていた。
なぐってやろうかと思ったが、教えてもらわないことにはどうにもならないので我慢した。
藤太は、
「機織り部屋を作るのを手伝うっていうなら、毎日少しずつそういうことを教えてやってもいいぞ」
と偉そうにしていた。

鈴の喜ぶ顔が見たいから、大人しく藤太に教えを乞おう。
藤太ってやつは、そういうことだけは抜群に上手いんだからな。

 



苑上の日記7・機織り部屋
at 2001 09/28 18:51 編集

今日は、阿高と藤太が機織り部屋を作っていたので、お昼におむすびをつくって持って行きました。
藤太はわたくしのおむすびを見てくすくす笑いました。
わたくしが怒ると、わたくしの頭に手を置いて、
「ごめんごめん、あまりに鈴らしくて」
とまた笑っていました。
阿高は、
「うまいよ、ありがとな」
と言って食べてくれました。

千種さんは村の機織り小屋に機織りをしに行っていていませんでした。
離れに機織り部屋ができたら、冬の間はそこで機織りをするそうです。
藤太は千種さんが竹芝にきて本当にうれしそうでした。

もっとうまくおむすびを作れるようになって、藤太を見返したいです。
阿高はどんなに失敗しても、にこにこして食べてくれます。
やっぱり阿高は優しくて大好きです。



 



阿高の日記7・機織り部屋
at 2001 09/28 20:09 編集

今日は、藤太と機織り部屋を作り始めた。

昼に鈴がにぎり飯をもってきてくれた。
やっぱり少しいびつな形だった。
藤太が笑ったので鈴はすねていた。
藤太が鈴の機嫌をとろうと、鈴の頭に手を置いた時、なんだか妙に気分が悪かった。
どうしてだろう。

鈴が帰ってしまってから、藤太が、
「おい、なんだよ阿高、さっきからぶすっとして」
と声をかけてきた。
そんなつもりはなかったのだけれど、いつの間にかしかめっ面になっていたようだ。

おれが黙っていると、藤太は、
「ははーん、おまえ、おれが鈴にさわったから妬いてるな?」
と吹き出した。

おれはそんなことないと言った。
おれが妬くはずはない。
藤太には千種がいるのだし、おれは藤太に鈴をとられるとは思っていない。
「妬くというのは、恋敵に対してすることだろう?藤太はおれの恋敵なんかじゃない」
おれが言うと、藤太は笑いながら、
「阿高。恋ってやつはな、そんなに単純なものじゃないんだよ」
と首を振った。

おれにはどうもよくわからない。

おれが納得できないという顔をしていたら、藤太は腕を組んで、
「ま、おまえもこれからそういうことを学んでいくわけだな。叔父として本当にうれしいよ」
と何度も深くうなずいていた。

おれは、恋だとかそういうことはよくわからない。
でも、明日は鈴に花を摘んでやろうと思う。
鈴は喜んでくれるだろうか・・・。


 



苑上の日記8・花
at 2001 09/29 20:47 編集

今日は川で洗濯をしました。
最近、日が短くなるにつれて、川の水も冷たくなってきています。
でも、自分が誰かの役に立っていると思えるのは本当に幸せなことです。

毎日、美郷さんと川に洗濯にくるうちに、顔見知りの女の子たちもできました。
毎日挨拶したり、ちょっとしたことを話したりできるのはうれしいです。
もっと仲良くなれるといいです。

洗濯物を干し終わり、わたくしが物干しの横の石に腰かけて休んでいたら、阿高がやってきました。
阿高は、わたくしに小さな花を差し出して、
「鈴、これ、よければ・・・やるよ」
と言いました。
小さなかわいい桃色の、なでしこの花でした。


わたくしが受け取ろうとして、手が偶然阿高の手に触れると、阿高は驚いた顔をしました。
そして、すばやくその場にしゃがみこむと、花をわたくしの横に置き、わたくしの手を両手で包みこんで暖めてくれ
ました。
川の水で手が冷え切っていたので、阿高の手がずいぶん熱く感じました。

「鈴、竹芝の暮らしはつらいか?鈴は・・・皇女なのに、こんなことをさせてしまって・・・」
と阿高は心配そうな顔をしました。

わたくしは大丈夫だと笑って答えました。
これからもっと水が冷たくなるとしても、竹芝で阿高と一緒にいられるならわたくしは幸せだと思います。

阿高はわたくしの手に花を握らせ、わたくしの頭をずいぶん長いことなでてくれました。

わたくしは阿高に頭をなでられるのが大好きです。
なんだかとても安心できるのです。
ここにいていいんだと言われているような気がするのです。
阿高の側にいられるなら、洗濯なんてなんでもありません。

初めて阿高にお花をもらえてとてもうれしかったです。
さっそく部屋に飾りました。



 



        

 

 








新規投稿
先月<<過去記事 >>次月 



阿高の日記8・花
at 2001 10/10 14:08 編集

今日、機織り部屋を作る合間に、なでしこの花を手折って、鈴に渡しに行った。
鈴に似合いの、小さな桃色の花だ。

花を渡そうとして少しだけ触れた鈴の手は、氷のように冷たかった。
川の水で洗濯していたからだろう。

都にいればこんな苦労をすることもなかったのに・・・鈴は皇女なのに・・・。
おれが竹芝に連れてきたから、鈴はこんなに手を冷たくしなければならないのだ。
そう思ったら、鈴に申し訳なくなった。
鈴の両手をそっと暖めた。

鈴は大丈夫だと言っていたけれど、本当に平気だろうか・・・。
でも、竹芝に住む以上、鈴は洗濯や炊事から逃れることはできない。
美郷姉たちも普通にしていることだ。

だけど、鈴はおれのために竹芝にきてくれて、そのために本来ならばしなくてもよかったはずの苦労をしてくれている。
おれはどうやったら、そんな鈴に報いることができるんだろう。

鈴が大事だ。
鈴には人を幸せにする力があると思う。
おれには鈴が必要だ。
だからこそ、都から鈴をさらってきた。

でも、鈴はここで幸せなのだろうか。
ふと不安が胸をよぎった。

けれど、鈴は笑っていた。

鈴の笑顔は信じられる。
鈴の笑顔はおれを幸せにしてくれる。



鈴が花をとても喜んでくれた。
微笑っていた。
よかった。




 



苑上の日記9・占い
at 2001 10/01 12:14 編集

今日は、千種さんと一緒に夕餉の仕度をしました。
夕餉のときに家族全員が揃っていることを、お父様が好まれるので、わたくしも千種さんも毎日夕餉をご一緒して
います。
でも、千種さんと一緒に食事の仕度をするのは今日が初めてでした。

竹芝の機織り小屋から帰ってらっしゃった千種さんは、さっそくわたくしと一緒に炊事にとりかかりました。
でも、千種さんはあまり炊事がお得意でないようでした。
もちろん、わたくしもまだとても下手なのですが、千種さんが包丁を使っているところを見ていると、上手に織物を
する指を傷つけてしまうのではないかと何度もひやひやしました。
結局、美郷さんに手伝ってもらってなんとか夕餉を間に合わせることができました。

夕餉を食べている時、茄子の漬物があまりにおかしな形をしていたり、味噌汁が塩辛かったりするので、みなさん
首をかしげてらっしゃいました。
思わず、隣りに座っている千種さんと二人赤くなってしまいました。

二人で夕餉の後片付けをしていると、千種さんが突然くすっと笑いました。
「本当に大失敗だったわね。美郷さんが助けてくれなかったら大変だったわ」

わたくしがつられて笑うと、千種さんはいたずらっぽく笑って言いました。
「ね、鈴ちゃん、もしかしてわたしが炊事が上手だと思っていたのではない?」
わたくしがうなずくと、千種さんは軽く手を振りました。
「それが全然なのよ。わたしは今まで機織りさえしていればいいと育てられてきたの。だから本当に機織り以外なんにも
できないのよ、笑っちゃうでしょう。藤太が離れに住みたいというから住んでいるけれど、もう家の中がめちゃくちゃ
なの。これで機織り器まで入ったら一体どうなってしまうのか、想像するだけでこわいわ」
と千種さんは明るく言いました。

でも、千種さんの織物はすばらしいと聞いています。それだけでも十分すごいと思います。

わたくしがそう言うと、千種さんは首を振りました。
「そんなことないの。鈴ちゃんは偉いわ。ここにきてからずっと、炊事や掃除や洗濯をしているのでしょう。本当は
皇女さまなのに。とても偉いと思うわ。鈴ちゃんを見ていて、わたしも機織りだけしていてはいけないと思ったの」

すばらしい機織りをなさる千種さんがそんなことを考えていたなんて、わたくしには想像もつきませんでした。
わたくしは機織りで竹芝のお役に立てる千種さんがただただうらやましかったからです。

わたくしがびっくりしていると、千種さんはわたくしの顔をのぞきこんでにっこりしておっしゃいました。
「鈴ちゃん、わたしもがんばるわ。がんばって一緒に素敵な花嫁になりましょう。実はね、今日、機織りをしている
時に見えたの。鈴ちゃんと阿高とわたしと藤太が、並んで座っているのが」
そして、千種さんはわたくしの耳元で、
「それがね、なんだか祝言みたいだったの」
とささやいてにっこりされました。

藤太に、千種さんが占いをすると聞いたことがあります。
これがそうなのでしょうか。

千種さんは本当にうれしそうににこにこしていました。
わたくしも幸せな気持ちになってにっこりしました。

お布団を敷いていたら、阿高に、
「どうした鈴?何かいいことがあったのか?」
と不思議そうに尋ねられました。
気づかないうちに笑顔になっていたみたいでした。
恥ずかしかったので、
「千種さんと少し仲良くなれたから」
とだけ答えました。
阿高は優しく笑って、よかったなと言って、わたくしの頭をぽんぽんとしてくれました。

千種さんの占いが本当になるとよいなあと思います。




 



阿高の日記9・占い
at 2001 10/01 15:59 編集

今日も藤太と機織部屋を作った。
藤太は雪が降るまでには完成させたいと、少しあせっているようだった。
千種が雪の中を、遠い機織り小屋まで通わなくていいようにと、ずいぶんがんばっている。

今日は朝から広梨が手伝いにきてくれた。
広梨はああ見えてかなり器用な奴だ。
おかげで、ずいぶん作業がすすんだ。
稲刈りもとうに済んで、ひまな広梨は、また手伝いにきてやると言っていた。
広梨がきてくれるなら、年の暮れまでには機織り部屋ができあがるだろう。

今日の夕飯は鈴と千種が作ったらしい。
鈴はともかく、千種が炊事が下手だという事実に驚かされた。

藤太は、
「気丈でなんでもできそうに見えて、実は違うってところが千種の魅力なんだよなぁ」
とおれにのろけてきた。
「はいはい、藤太殿の言うとおりです」
とおれが適当にあしらうと、藤太はおれの首に組みついてきた。
「なんだよ、おまえだって。鈴のあのなんとも言えないところが好きなんだろう」
そう言って、藤太はにやけていたが、ふいに真顔になって、
「もしかしておれたち、実は女の趣味が似ているのかもしれないなあ」
とぶつぶつつぶやいていた。
「ばかいえ。ぜんぜん似てないよ」
とおれは即座に否定した。
鈴に似ている女なんているわけがない。

夜、布団を敷いていた鈴がにこにこしていたのでどうしたのかと尋ねたら、千種と仲良くなったと言っていた。
鈴と千種は意外と気が合うのだろうか。
藤太の言っていたこともあながち間違いではないのかもしれない。

どちらにしろ、鈴が幸せそうでよかった。



 



阿高の日記10・洗濯
at 2001 10/01 20:06 編集

今日も広梨が機織り部屋作りを手伝いにきてくれた。

途中で少し抜けさせてもらって、鈴の様子を見に行った。
鈴は午前中はたいてい、美郷姉と小川で洗濯をしているはずだった。

川辺に行くと、薄い黄色の着物を着た鈴が、美郷姉や他の女たちとしゃがみこんで洗濯をしているところだった。
冬場の洗濯は、夏よりも洗濯物の量は少ないが、水が冷たくて大変な仕事だ。
手を赤くしている鈴を見て、おれが洗濯を手伝うと言うと、美郷姉が目を丸くして、
「阿高が洗濯を手伝うなんて、いったいどういう風の吹き回し?」
とのけぞっていた。

おれは鈴の割り当て分の洗濯を手伝った。
洗濯が終わると、他の女たちは次々にそれぞれの家へ戻って行った。
美郷姉が、
「鈴ちゃん、阿高とゆっくりしてから帰ってくればいいわ。あたしが干しておくから。今日は他に用事もないし」
と鈴に言った。
美郷姉は、帰り際に
「阿高、うまくおやんなさいな。ああ、あたしって本当にいい姉よねえ」
としっかりおれの頭を軽くこづいてから帰って行った。

美郷姉が帰ってしまうと、鈴はしばらくもぞもぞしていたが、思い切ったように手を伸ばしておれの頭をぽんぽんとした。
「いつもしてもらってるから、お返しに」
と鈴は言った。
ふだん自分がしていることなのに、鈴にされると妙に気恥ずかしかった。
おれが黙っていると、鈴は
「阿高、わたくしの洗濯を手伝ってくれてありがとう」
と言った。
「なら、また手伝ってやるよ」
とおれが言うと、鈴はにっこりしていた。

鈴が喜んでくれてよかった。
また手伝うことにしよう。 



苑上の日記10・洗濯
at 2001 10/01 20:04 編集

今日、美郷さんと他の女の子たちと一緒に川辺で洗濯をしていたら、突然阿高がやってきました。
どうしたのかと思っていたら、わたくしの洗濯を手伝ってくれるというのでびっくりしました。
何度も断ったのですが、美郷さんが、
「鈴ちゃん、いいから阿高にやらせちゃいなさいな。こんな機会はめったにないわよ」
と笑いながらおっしゃったので、阿高に手伝ってもらうことにしました。

他の女の子たちはまさか阿高が洗濯をするとは思ってもいなかったようで、大騒ぎでした。
遠くの木のかげから阿高が洗濯しているところをのぞいている子もいました。

洗濯が終わると、美郷さんが洗濯を干しておくからとおっしゃってお屋形に帰られたので、阿高と二人になることが
できました。
他の女の子たちも、美郷さんが促してくださったので、みんな帰ってしまっていませんでした。

わたくしは勇気を出して、阿高の頭をぽんぽんとしました。
そしてお礼をいいました。
阿高は照れくさそうな顔をしていましたが、嫌がってはいないようだったのでほっとしました。
阿高の髪の毛はとても柔らかかったです。


夕餉の仕度をしていると、美郷さんが、
「ごめんなさいね、鈴ちゃん。阿高、あの子ったら。洗濯場は女の社交場だっていうのに、ぜんぜんわかってないん
だから、もう。あとであたしから釘さしとくからね、本当に。せっかく鈴ちゃんが他の女の子たちと仲良くなって
きてたのに、阿高がきたんじゃおしゃべりもできないものね」
と申し訳なさそうにおっしゃいました。
そして
「でも、阿高ったら、本当に鈴ちゃんのことが好きなのね。あの子が洗濯を手伝いにくるなんて思いもしなかったわ」
とくすくす笑っていらっしゃいました。

いろいろ女の子の事情はあるけれど、阿高がわたくしのために洗濯を手伝ってくれてうれしかったです。
今日はとても幸せな日でした。


 



苑上の日記11・夢
at 2001 10/02 19:20 編集

今朝、まだ暗いうちに、夢を見て目がさめました。
兄上や賀美野、父上や母上やお祖母さま、みんなで桃の花を愛でている夢でした。
わたくしは子供で、兄上に抱きかかえてもらって、桃の枝を手折ろうとしていました。
ふいにどすんとしりもちをつき、振り返ると誰もいなくなっていました。
みんなの名を呼び、泣きながらあたりを駆け回りました。
そこで目が覚めました。

汗をびっしょりかいていて、目が覚めてもしばらくは何が現実だかわからなくなっていました。
目をしっかりと開けて、黒々とした木でできた天井や梁を見て、ここは都のわたくしの部屋ではなく竹芝なのだという
ことを思い出しました。

わたくしが体を起こして、辺りを見回すと、横に寝ていた阿高が目に入りました。
阿高の寝顔を眺めていると、こちらが現実なのだという実感が少しわいてきました。
もっと実感がほしくて、阿高の髪に少しだけ触れました。
すると、阿高が目を覚ましてしまいました。阿高は眠そうにぼんやりしていました。
「ごめんなさい、起こしてしまって」
とわたくしが謝ると、阿高は目をこすりながら、
「どうした鈴?」
と尋ねました。
わたくしは少しぎこちなく、
「兄上や賀美野の夢を見たの」
とだけ答えました。
阿高はわたくしの顔をしばらく眺めていましたが、
「来いよ」
と言いました。
わたくしが何のことかわからずにぼんやりしていると、阿高はわたくしを上掛け布団でくるみこんで、抱きしめてくれ
ました。

暖かな阿高の懐でまどろみながら、わたくしは兄上も賀美野も都で元気にしているはずだということを思い出しました。
今度、都へ書簡を送ってみようかなと思いました。

(付記)
お昼に洗濯をしているときに、阿高が抱きしめてくれたことを思い出して、ついつい微笑ってしまいました。
うれしかったです。




 



阿高の日記11・夢
at 2001 10/03 22:38 編集

今朝、鈴は兄と弟の夢を見たらしい。
寂しそうな顔をしていたので、布団でくるんでやった。

鈴は都が恋しいのだろうか。
おれだって藤太はもちろんのこと、美郷姉や豊高兄と離れていれば寂しかった。
鈴にはたった二人の兄弟だ。離れて暮らすのは寂しいに違いない。
どうしたら少しでも鈴の寂しさを紛らわすことができるだろう・・・。

朝、起きて顔を洗っていると、豊高兄に背中を叩かれた。
「おい、聞いたぞ阿ー坊。鈴ちゃん抱えて寝てたらしいじゃないか。起こしに行った美郷姉が家族みんなに
ふれまわってたぞー」



案の上、今日はみんなに一日中からかわれた・・・。


 



阿高の日記12・肝試し
at 2001 10/05 00:54 編集

機織り部屋を作っているときに、どうしたら鈴が元気を出せるか、藤太や広梨に相談した。

すると広梨が、肝試しをしようと言い出した。
「こんな季節にか?」
と藤太がけげんな顔をした。
「ばか言え。鈴は物の怪では恐ろしい目にあっているんだ、そんなことができるか」
とおれも反対した。
すると広梨は笑いながら首を振った。
「まったくわかってない奴らだなあ。本当におどかすわけがないだろう。ただ歩くだけさ。考えてもみろ、鈴が
寂しがっているとしたら、それを慰めてやれるのは阿高だけだろう?なのに、阿高はこんな奴ときてる。だから、
堂々と慰められる機会を親切なおれが作ってやろうと言っているんじゃないか」

広梨の説明を聞いて、藤太は賛成した。
「いいかもしれないな。それに鈴は肝試しなんか怖がらない気がする。あの子は物の怪がもういないということを
一番よく知っているのだからね」

おれはそれでも反対したが、とりあえず鈴の意見を聞いてみるということになった。


夜、寝る前、鈴に確かめてみた。

「藤太たちが肝試しをやろうと言っているんだが・・・」
鈴がいやならやめておく、と言う前に、鈴がおれに飛びついてきた。
「肝試しって、夜道を歩くのでしょう?とても楽しそう。ぜひ行きたいわ。でも、一人で歩くのではないのでしょう?
阿高と一緒に歩いてもよいのでしょう?」
鈴が予想外に元気がいいので驚いた。
「もちろん、いいに決まってる」
とおれが答えると、鈴はにっこりした。
「よかった。わたくし、阿高が一緒なら何にも怖くはないの」
そして、おれの手をとって、
「手をつないで行きましょうね、阿高。本当に楽しみだわ。もうすぐ満月だから、きっと月がきれいに見えるわね」
と言って笑った。


笑っていた。よかった。
とりあえず、広梨に感謝だな…。






 



苑上の日記12・肝試し
at 2001 10/05 00:55 編集

今日、お布団を敷こうとしていたら、阿高がかわりに敷いてくれました。

そして、なんだかそわそわしていたので、どうしたのかと思っていると、突然思い切ったように、わたくしに
向かって、
「藤太たちが肝試しをしようっていうんだが・・・」
と話しかけてきました。
びっくりしたけれど、夜のお出かけができるのだと思い、すぐに行くと言いました。

阿高はなんだか心配しているようでした。
わたくしがあれだけ物の怪に怯えていたのを知っているのだから、当然といえば当然なのかもしれません。
でも、皇の怨霊は阿高のおかげでもう二度と現れないのだし、わたくしは阿高が一緒ならば何にも怖くないです。

わたくしが阿高にそう言うと、阿高は、わたくしを抱きしめて頭をなでてくれました。

阿高の体はいつもわたくしより体温が高くて、抱きしめられると暖かくてほっとします。
阿高に頭をなでられると、安心して赤子のように眠ってしまいそうになります。

肝試し、楽しみです。
たぶん藤太たちがわたくしに気をつかって計画してくれたのでしょうが、うれしいです。
阿高と一緒に出かけられることが幸せです。




 



苑上の日記13・雨
at 2001 10/06 21:47 編集

今日は雨がたくさん降っていました。
わたくしが竹芝にきてからずっとお天気の日が続いていたので、一日中家の中で過ごすのは初めてでした。
お洗濯も今日はお休みで、ゆっくりすることができました。

時間があったので、賀美野と兄上に書簡を書くことができました。
竹芝の人々や風景、暮らしなど、わたくしが元気にしていることを書き綴りました。

書き終わってから、どうやって兄上や賀美野のところへ送ればよいのかと考え込んでしまいました。
すると、藤太が、坂上の少将のところへ送って渡してもらえばいいと教えてくれました。

今日は、阿高の仕事もお休みで、お屋形の力仕事などを少し手伝っていたので、一日中くっついてまわっていました。
阿高は薪割りがとても上手で、動きがとてもきれいで、ずっと見ていてもぜんぜん飽きませんでした。
阿高にはじゃまだったかもしれませんが、阿高と長いこと一緒にいられて楽しかったです。

たまには雨もよいものだなあと思いました。
明日はどうやら晴れそうです。
また洗濯をがんばろうと思います。






 



番外・賀美野の日記・数日後
at 2001 10/07 03:48 編集

今日、坂上少将がぼくを訪ねて来られたので、どうしたのかと思ったら、姉さまからのお便りを渡してくれました。

姉さまはとてもお元気そうでした。
やっぱり姉さまは竹芝に行かれてよかったんだなあと安心しました。
そして、ぼくが伊勢に藤太たちに会いに行ったときのことを思い出しました。

あのとき、いきなり阿高に、姉さまを竹芝に連れて行きたいと言われました。
連れて行くというのはお嫁さんにするということだそうです。
阿高が姉さまのことを好きだとは気づかなかったのでびっくりしました。
でも、姉さまが阿高のことをお好きだということはなんとなくわかっていたので、姉さまがお喜びになるだろうなと
思って、とてもうれしかった記憶があります。
だから阿高に協力したのですが、本当によかったです。
姉さまの書かれた文面から、姉さまがお幸せそうなのがよくわかりました。

でも、姉さまのお便りでは、まだお嫁さんになっていないみたいです。
いったい、いつお嫁さんになるんでしょう?
ぼくは姉さまがお嫁さんになるところを見たいです。


何度も読み返してから、さっそくお返事を書きました。
ぼくは姉さまがいなくて寂しいけれど、もうお馬にも上手に乗れるし、兄上ともよくお会いしているし、坂上少将や
大臣たちとも仲良くしていて元気だと書きました。

なるべく元気そうに書きましたが、やっぱり姉さまがいないと寂しいです。
夜、寝ていると、ときどき姉さまのことを思い出して泣いてしまいます。
でも、姉さまがお幸せなのだからと思って、がんばってなるべく泣くのを我慢しています。

なんとかしてぼくも一度くらい竹芝に行きたいなと思います。
明日、坂上少将に相談してみようと思います。 



阿高の日記13・雨
at 2001 10/07 22:05 編集

今日は、おれが竹芝に帰ってきてから初めて雨が降った。
かなり激しく降っていて、外の仕事は当然休みだったし、藤太が今日は機織り部屋作りも休みにしようというので、
することがなかった。

ひまなので、屋形で使う分の薪割りをした。
そろそろ寒くなってきているので、薪はたくさんあった方がいいと美郷姉に言われ、ずいぶんたくさん割った。

今日は鈴もひまらしく、ずっとおれの後にくっついてきていた。
おれの後をうれしそうについてくる姿はなんだか少しちびクロに似ていた。
おれがそう言ったら、鈴はふくれていた。
そんなところもまるで子犬のようで、思わず笑ってしまったら、鈴に頭をはたかれた。
ぜんぜん痛くなかったのでまた笑ってしまったら、鈴が完全にすねてしまった。
なんとか機嫌を直してもらおうとなだめすかした。
今度、馬に乗って野遊びに行こうと言ったら、やっと機嫌を直してくれた。

雨の日はいつも外に出られなくてうっとおしいと思っていたが、今日はなぜだか楽しかった。
 



阿高の日記14・準備
at 2001 10/08 18:08 編集

今日は昨日とはうってかわって、気持ちのよい快晴だった。
雲もほとんどなく、これなら月明かりで夜道も安心だということで、今夜肝試しを決行しようと藤太たちが決めた。

肝試しの内容は簡単だった。
屋形から少し離れたところにある、この辺では一番大きな銀杏の木まで歩いて行き、広梨が昼間に隠しておいた布きれを
取ってくるだけだ。
確かに、途中竹やぶや墓などがあって、肝試しといえばそうなのかもしれないが。

むしろ、先に行った者は終わったら隠れて後の者をおどかすこと、という方が大変だ。

当然、鈴をおどかすことには俺が反対したので、まず、おれと鈴、藤太と千種、広梨と広梨の彼女、という順序に
決まった。

藤太は、
「思いっきりおどかしてくれよ、阿高。千種が悲鳴をあげておれに抱きつくようにな」
とうれしそうにしていた。
「責任は持たないよ」
とおれはあきれて答えた。
広梨もひさびさに彼女と過ごせるとうきうきしていた。
「おれのほうもしっかりおどかしてくれよな。彼女にいいところ見せるんだから」
などと言っていた。

鈴に、今夜肝試しをすることに決まったと知らせると、
「じゃあ、夜食を作るわ。蜜柑も持っていきましょうね」
とにこにこしていた。

なんだか多少勘違いしているようだが、まあいいか。
今夜のために少しだけ眠っておこう。

 



苑上の日記14・準備
at 2001 10/08 18:08 編集

今日は気持ち良く晴れたよい天気でした。
美郷さんとお洗濯をしました。
日なたにいるとぽかぽかして暖かくて、幸せな気持ちになりました。

お屋形に戻ると、阿高が出迎えてくれました。
美郷さんに見えないところまで連れていかれてから、阿高はわたくしを抱き寄せて、
「鈴、今夜肝試しをするよ」
とささやきました。
美郷さんや家族の方には内緒なのです。
内緒話をしていると、わたくしはなんだかどきどきしてしまいました。
わたくしがぼんやりしていると、阿高が
「どうした、鈴。熱でもあるような顔をして」
と言って、わたくしの額に自分の額を寄せてきました。
わたくしがびっくりして、
「薬師は熱を測るときにそんなことしなかったわ」
と叫んで飛びのくと、阿高は、
「おれは薬師じゃないからね」
と笑いました。そして、
「どうやら熱はないようだな。今夜だから準備しとけよ」
と言い残して、また仕事に行ってしまいました。

なんだか悔しかったです。
でも、肝試しは本当に楽しみです。
眠くならないか心配だけれど・・・。





 



阿高の日記15・肝試しのこと
at 2001 10/09 12:28 編集

ゆうべは肝試しだった。

家族に気づかれないように、鈴とこっそり屋形を抜け出した。
待ち合わせの椿の木のところに行くと、みんなもう来ていた。

あらかじめ決めておいた通り、おれと鈴が一番に出発した。
手をつないで歩いた。
月が明るかったので、どんどん歩くことができた。
竹やぶや墓の横を通るときは、さすがに鈴もこわかったのか、おれの腕にしがみつくようにしていたが、それ以外の
ところでは、いろいろとりとめのない話などしながら歩いた。
ちょっとした夜の散歩のようだった。

大きな銀杏の木の根元にたどり着き、布切れを探した。
鈴があまりに真剣な表情で探すので、つい吹き出してしまった。

鈴が木の根の間にはさまっていた布きれをみつけた。
そこで、おれと鈴は藤太たちを驚かすために、道沿いの小さな茂みの中に隠れた。
鈴は、
「うまくおどかせるかしら」
と緊張していた。

しかし、待てど暮らせど、藤太たちはこない。
おれがしびれをきらせて、
「もう帰ろう」
と言うと、鈴は眠そうに瞬きしながら、
「だめよ、肝試しなんだから、おどかさなきゃ」
と反対した。
そして、
「おむすび作ってきたの、食べましょう。蜜柑もあるのよ」
とにっこりした。
鈴の握り飯はちゃんと形になっていて、前より格段に進歩していた。

食べ終わると、鈴は本当に眠くなってしまったようで、
「ごめんなさい、藤太たちが来たら起こして・・・」
と言い、あぐらをかいていたおれの膝を枕にして寝てしまった。
仕方がないので、おれの上着を鈴にかけてやった。
鈴は規則正しい寝息をたてて眠っていた。
まだ眠りが浅いのか、かすかに体を動かしたり、何かを口の中でつぶやいていた。
その様子があんまりかわいらしくて、おれは鈴の額に軽く接吻した。

おれはこのまま寝かしていては鈴が風邪をひいてしまうと思いあたり、屋形に戻ろうと決めた。
「藤太と広梨のやつ、あとでとっちめてやる」
と叫んで、茂みから立ち上がると、すぐ目の前で男女の悲鳴が聞こえた。
見てみれば、走ってきたらしく息をきらせた藤太たち4人が腰を抜かしてしゃがみこんでいた。

「遅すぎだ」
おれが怒気をこめて言うと、藤太は、
「すまんすまん。いや、阿高たちをゆっくり二人っきりにさせてやろうと思ってさ。遅めに出ることにしたんだよ。
そしたら、つい千種と盛り上がっちゃって・・・」
と、すまなそうに言った。
「右に同じ」
と広梨も神妙な顔つきでつぶやいた。
千種と広梨の彼女は顔を赤らめてうつむいていた。

これ以上責めては千種たちがかわいそうだと思い、おれは鈴を背負って、
「帰る」
と宣言した。
おれの後ろを、藤太たちがぞろぞろとついてきた。
終始無言だった。


今朝、鈴が目を覚まして、開口一番、
「ゆうべは肝試し、とても楽しかったわ!でも、わたくし、途中で寝てしまってごめんなさい。阿高が背負って
帰ってくれたの?」
と言った。
おれがうなずくと、鈴はおれに感謝してから、
「ああ、わたくしもおどかしたかったわ。また肝試ししましょうね!」
とにっこりした。
おれはなんとも言えずにあいまいにうなずくしかなかった。


…今度は鈴が起きているときに、と思った。 



苑上の日記15・肝試しのこと
at 2001 10/09 14:44 編集

ゆうべ、肝試しがありました。

阿高をわたくしは一番に出発しました。
阿高と手をつないで歩きました。

夜の竹芝は昼間とは少し違う感じでわくわくしました。
月が本当にきれいでした。
賀美野は月や星を見るのが好きだったけれど、あの子もこの月を見ているかしらと思いました。

途中、お墓があって少しこわかったけれど、阿高と手をつないでいたので平気でした。
阿高の腕にしがみつくと、阿高はにこにこ笑っていました。
以前、男の子のふりをしていたときには冷たかったのになあと思いました。

銀杏の木に着いて、布切れを探しました。
阿高はわたくしが探しているのをおもしろそうに眺めているだけで、手伝ってくれませんでした。

布切れがみつかったので、今度は隠れて藤太たちが来るのを待つことにしました。
なかなかこないので、持ってきたおむすびを食べました。
阿高が前よりうまくなったとほめてくれたのでよかったです。

おなかがいっぱいになると、わたくしはなんだか眠くなってしまいました。
わたくしがうとうとすると、阿高があぐらをかいて膝を枕にしてくれました。
阿高の体が温かくて気持ちよくて、いつのまにか熟睡してしまったようでした。

今朝起きたら、部屋で布団で寝ていました。
阿高が寝かせてくれたそうです。
途中で寝てしまってはずかしいです。
次はがんばって起きておいて、みんなをおどかそうと思います。


そういえば、今日、藤太や広梨さん、千種さんがわたくしにお芋のおやつをたくさんくれました。
「阿高と食べてね」
「阿高によろしくな」
などと言われました。
よくわからないけれど、おやつがもらえてうれしかったです。




 



番外・安殿皇子の日記・数日後(秋さまリクエスト)
at 2001 10/09 20:19 編集

今日、賀美野が訪ねてきた。
坂上少将が苑上の書簡を持ってきたのだという。
「姉さまから兄上へのお便りです」
と言って、賀美野は書簡を差し出した。

驚いて、すぐに目を通した。
苑上が病気などしていないか、竹芝の人々ともうまくやっているのか不安だったが、どうやら元気そうだった。

賀美野はにこにこしながら、
「姉さまがお幸せそうでよかったです」
と言った。
私は少し疑問をはさんだ。
「本当に幸せなのだろうか?無理をしているのではないだろうか?賀美野、お前は少しの間、阿高という男と一緒に
いたのだろう、どんな男だった?」
すると、賀美野は一瞬びっくりしたような顔つきになったが、すぐにまた笑顔に戻って言った。
「姉さまは、きっと本当にお幸せなのだと思います。阿高はとてもいい人でしたし」

私はまだ納得できず、さらに尋ねた。
「賀美野、もっと詳しく教えておくれ。私は勾玉を受け取ったときに阿高に会ったけれど、ほとんど覚えてはいないのだ」
すると、賀美野は少し考えるような仕草をしてから答えた。
「兄上もご覧になったかと思いますけれど、見た目はきれいな男の人です。でも、とても強いんです」
「それで?」
「えっと…、それから、阿高は姉さまのことを本当に大切に思っていますよ。ぼくも言われるまで気づかなかったです
けど、思い出してみればそうだったなあと思います」
私は少し息を吐いた。
「それで、苑上はその男と行くことを心から望んだのかい?」
「はい。ため息ばかりついてらした姉さまが、阿高と行くと決めた後には、見違えるばかりに生き生きされていましたから」
「そうか、お前は苑上を見送ったのだったね」
「ええ、阿高たちに姉さまの部屋を教えたのはぼくですから、いつも気にかけていたんです。そうしたら、ちょうど
姉さまたちがお部屋を出てくるところを見つけたので」
「・・・ありがとう、賀美野。よくわかったよ。苑上が本当に幸せならばいい」
私が微笑むと、賀美野は安心したようににっこりして、博士が来るので失礼しますと言って退出した。


賀美野が帰ると、奥に控えていた薬子がくすくす笑いながら出てきた。
「本当に苑上さまのことがご心配ですのね。なんだか妬けるほどでしたわ」
「たった一人の同母妹だからね」
「本当にそれだけですの?」
薬子はおかしそうに私を見た。
「まあよろしいですけれど。これ以上追及して
さしあげても、わたくしが有利になることはありませんものね」
「何が言いたい?」
本当にわからず、私が尋ねると、薬子は意味ありげな笑い方をした。
「おわかりにならなければよろしいのです。このことはわたくしの胸に秘めておきますわ。それにしても、苑上さまは本当に幸せなお方」
そして、胸元から唐渡りの薄紅色の紙を取り出し、私に渡した。
「お返事、お書きになるのでしょう?お使いくださいませ」


いったい、薬子は何が言いたかったのだろう?
とにかく、苑上が元気でよかった。
私も元気だと返事を書こう。




 



番外・ちびクロの日記・疑問(杏奈さまリクエスト)
at 2001 10/09 20:18 編集

オレの名前はちびクロ、阿高の犬だ。
ちびクロって言っても、本当にちびなわけじゃないぜ、なんたってオオカミ犬だからな。

オレは今、生まれ故郷の北の国を離れて、竹芝というところで暮らしている。
阿高の故郷らしいけど、なかなかいい所だ。
食い物もうまいし。
ここにはクロって犬がいる。
気のいい奴で、小さな犬だ。
あいつがクロで、なんでオレがちびクロなんだろう?
阿高の名付けには多少疑問を感じる。

それにしても、阿高って奴はすごい奴なんだ。
初めて会った頃、おれはコンル母さんのまわりをちょろちょろ走ってるようなちびだったけど、阿高がすごい奴だって
ことはわかった。
こいつについて行こうと思ったんだ。
母さんは、オレはアテルイって奴の犬になるだろうって言ってたけど、オレは断然阿高の方がよかったから、とにかく
阿高の懐にもぐりこんだよ。

そうそう、オレと阿高は一体になったこともあるんだぜ。
めちゃくちゃ強い獣になったんだ。
でも、オレも阿高も苦しかった。
阿高自身を守るためだったからしかたなかったんだけどな。
だから、助けてくれた藤太には、オレは一目置いてるってわけさ。
あいつも阿高の身内だけあってなかなかすごいんだ。


それにしても、わけがわからなかったのは、鈴ってやつだ。
初めはオレの阿高を横取りする嫌な奴だと思った。
「阿高はお前のご主人さまじゃない!オレのご主人だ!」
と思いっきり唸ってやったよ。

でも、阿高がそいつを大事にするので、オレも少しは考え直した。
阿高が大事にするってことは、阿高の仲間なのだろうかって。
でも、藤太と鈴は明らかに違うんだ。
藤太が仲間なら鈴は何なんだって、ずいぶん悩んだよ。
そしてわかったんだ、鈴は阿高の嫁さんなんだって。
将来はオレの父さんと母さんみたいになるんだって。

それ以来、おれは鈴にはまあまあ親切にしてやってる。
阿高のところへ案内してやったことも何度もある。
鈴がいると阿高は幸せそうだ。
鈴がいるとあんまりオレにかまってくれないけど、ご主人さまが幸せならそれでいいのさ!
オレってば本当に理想的な犬だよなぁ。
オオカミ犬はみんな主人思いなんだ。


あ、鈴が餌をもってきた。
クロのやつが甘えて餌をねだってやがる。
あーあ、お座りしてお手までして、ばっかじゃねぇの、けっ。

鈴がこっちにきた。
にこにこしている。
…こいつ、けっこうかわいいんだよな。
まっ、オレの阿高が選んだ女だから当然だけどね。

うっ、腹をなでてきやがった、やめろよー、気持ちいいじゃねーか!!そんなことしたって、絶対仰向けになったり
なんかしねーぞ!

あれ、なんだか今日は餌が豪勢だぞ。
なに、この間、阿高が怪我しそうになったときに教えてやった分のご褒美だと?

そ、そっか・・・・・。
うまそうだな・・・・。
あ、クロの奴がうらやましそうに見てやがる。


し、仕方ない、たまには手くらい舐めてやるか。
あ、なんだよ、なにびっくりしてんだよ。
なに阿高呼んでやがんだよ。
「阿高、ちびクロがわたくしの手をなめてくれたの!」
なんていちいち報告すんなよ。

阿高が出てきてオレの頭をなでてくれた。
阿高の手は気持ちいい。
これからも鈴をよろしくな、だってさ。
ああわかってるよ、阿高の大事な女だもんな!



 



苑上の日記16・遠出
at 2001 10/11 08:26 編集

今日、あんまり夕焼けがきれいだったので、クロとちびクロと一緒にお散歩に出ました。
草原をずっと歩いていきました。
空気が澄んで気持ちよくて、ちょっと遠くに来すぎたかなあと思うほど歩いてしまいました。

疲れたので、草の上に座り込んで、ふと視線をずらすと、ちょっと離れたところに人が立っていました。
男の人だったので、わたくしがびっくりして帰ろうとすると、その人に呼び止められました。
「もしかして、竹芝の屋形にいた子だろう?そうだと思ってきたんだ」
と言われました。
どうしてわかるのだろうと思って顔をよく見ると、なんとなく見たことがあるような気がしました。

わたくしの考えていることがわかったのか、向こうから名乗ってくれました。
千種さんの従兄弟の真守という人でした。
そういえば、この間、千種さんを返せとお屋形にきたひとたちの中にいたような覚えがありました。

「真守って・・・もしかして阿高を矢で射ようとした人ね」
とわたくしが厳しい口調で言うと、真守さんは眉を下げて困ったような顔をしました。
「確かに矢は放ったけど・・・当たらないように外したぜ」
「あたりまえです!それにしたって危ないじゃないの」
わたくしが責めると、真守さんは頭をかきながら、
「まいったな。もうしないからさ」
と言いました。
「約束してくれるの?もう阿高たちに危害を加えないって」
とわたくしが念を押すと、真守さんは、
「約束するよ。だから、教えてくれないか」
と言いました。

真守さんの言うことには、日下部では、突然さらわれた千種さんの様子をみなが案じているのだそうです。
「千種の両親がさ、ほんとにしょげちゃって、かわいそうなくらいなんだよ」
本当に心配そうな声だったので、わたくしは少し態度をやわらげることにしました。
「大丈夫よ、千種さんは元気にしているわ。幸せそうよ」
「そうか・・・竹芝の奴らにいじめられたりしてないか?」
「そんなわけないでしょう」
わたくしが当然だというように答えると、真守さんはほっとしたように少し微笑みました。
そして、わたくしの頭をくしゃくしゃになでて、
「あんたいい子だな。あんたみたいな子が近くにいるなら、千種も大丈夫かもしれないと思えるよ」
と言いました。
ほとんど知らない人に頭を触られるのは少しいやだったけれど、本当に千種さんを思いやっているのがわかったので、
どうしたらよいのか迷いました。

そのとき、ちびクロが吼える声が聞こえました。
そして、牧に手伝いに行っていたはずの阿高が馬に乗ってこちらに駆けてきました。
阿高は馬から飛び降りて、わたくしと真守さんの間に割って入りました。

「汚い手で鈴に触るな!・・・だいたい、こんなところでなにしてる。ここは竹芝だぞ!」
阿高が言うと、真守さんはひょいと首を伸ばして、
「鈴っていうのか。ありがとな、鈴!」
と言って走っていってしまいました。
阿高が追いかけようとしましたが、わたくしが引き止めました。
阿高は不機嫌そうに、
「帰るぞ」
と言って、わたくしを屋形まで馬で送ってくれました。

千種さんに真守さんのことを伝えると、千種さんもほっとしたようで、少し涙を浮かべていました。

早く竹芝と日下部が仲良くなればよいのにと思いました。

(付記)
阿高はそのあとずっと不機嫌でした。
本当に日下部が嫌いなのだなあと思いました。
やっぱり竹芝と日下部が仲良くするのは難しいのでしょうか・・・。





 



阿高の日記16・遠出
at 2001 10/11 23:56 編集

今日は田島に呼ばれて牧の仕事を手伝いに行った。
馬といるのは楽しかった。
たとえ仕事が雑用でも。

厩の掃除をしていると、なんだか急にいやな感じがした。
ちびクロが呼んでいる、と思った。
横で一緒に作業をしていた広梨に、
「ちょっと出る。あとよろしくな」
と言い残して、いつも乗っている雌馬に飛び乗った。

感覚のままに馬を走らせ続けると、ちびクロが吼えているのが聞こえた。
ちびクロは藪から飛び出してきて、おれを先導して走った。

日下部との境の近くまできて、遠くに鈴の姿が見えた。
鈴の姿は、遠くからでもなぜか一目でわかる。

横にいるのが男だと気づいた瞬間、かっとなった。
近づいてそれが真守だと気づいて、さらに憤った。

鈴をかばうようにして立つと、真守は逃げていった。
追おうとしたが、鈴にとめられた。

鈴がいうには、真守は千種の身を案じてきたらしい。

そんなことより、真守が鈴の頭に触ったことが
許せない。
あいつが鈴と話して、鈴の名前を呼んだことが許せない。
しかもなんだか親しげにしていたのが気に入らない。

おれが牧に戻ると、藤太が駆けてきた。
「一体どうしたんだ、阿高」
と尋ねるので、おれは真守のことを話した。
藤太は、
「真守のやつめ」
とひとしきり怒ってから、不思議そうにおれを見た。
「でも、なんでお前がそんなに怒るんだ。いつも真守のことでは冷静だろうに」
そして、ふいににやりと笑った。
「…わかったぞ。阿高、おまえまた嫉妬だろ」

とにかく他の男が鈴に触るのが嫌でたまらない。
これを嫉妬というのなら、そうかもしれない。




馬を返しにいったら、田島にげんこつをくらわされたうえ、こってりしぼられた・・・。 



番外・ちびクロの日記・遠出(自分リクエストなので気合なし…)
at 2001 10/16 16:45 編集

いきなり鈴が犬小屋にきた。
「クロ、ちびクロ、一緒にお散歩に行かない?夕日がきれいよ」
なんて言ってた。
ほんとは阿高が出かけちまっていないから、そのかわりだろって思ったけど、まあ暇だしいいか、と思ってついて行った。

クロは鈴が好きなので、めちゃくちゃはしゃいでいた。
鈴なんかのどこがいいんだってきいたら、優しくていいにおいがするところ、なんて答えやがった。
オレはそんなもんには惑わされねーぞ、と思った。



鈴は草原をだいぶ歩いた。
オレは少し心配になった。
阿高がいつも、
「ここから先は日下部だから、行くなよ」
と言っているところの近くまできたからだ。
しかも鈴はとろい。
足が痛いなんて言っても、ここには背負ってくれる阿高はいないんだぜ?

オレは鈴を止めようと、袖を加えてひっぱった。
すると、鈴は、
「なあに、ちびクロ。ふう、ちょっと疲れちゃった」
なんて言ってしゃがみこんだ。

ほーら、言わんこっちゃねー、とオレがうんざりしていると、ふいに人の気配を感じた。
男だ。近づいてくる。
なんとなく嫌な予感がした。
オレは鈴の着物をまたひっぱった。
帰ろうぜ、と吼えた。

そうこうしているうちに男はどんどん近づいてきた。
そして鈴もやっと男に気づいた。

男は日に焼けていて、そこそこまともな顔立ちだった。
もちろん、オレの阿高の足元にも及ばないけどね。

悪意も感じられなかったので、オレは様子を見た。
そして気づいた。
こいつは阿高の敵だって。
確か真守とかいう奴だった。





阿高は馬で駆けつけた。
そして、その男に怒ってた。
男が逃げたからオレは追おうとしたけど、阿高が追わないようだったのでやめた。

その後、阿高は鈴と馬に相乗りして帰って行った。
オレもその後をついて走った。

屋形に帰り着いてから、クロがいないことに気づいた。
あわてて草原に戻ると、クロは草原で気持ちよさそうに寝ていた。
起きやがれ!とオレが吼えると、クロはやっと目をあけ、あれ鈴はどこ?なんて寝ぼけたことぬかしやがった。
耳に噛み付いてやった。


夜、晩飯の後、阿高がやってきた。
オレに猪の肉をくれた。
「ちびクロ、今日はえらかったな。これからも鈴のこと頼むぞ」
と、やけに真剣に頼まれた。
まかせとけ!って思いっきり吼えた。



猪の肉はめちゃくちゃうまかった!
また、鈴のお目付け役をしたらもらえるのか?
だったら、また鈴につきあってやろう、と思った。






 



苑上の日記17・野草摘み
at 2001 10/14 01:47 編集

今日は、洗濯仲間の女の子たちに誘われて、野草摘みに行きました。
阿高がとても心配して、ちびクロを連れて行けと言われましたが、他の女の子たちと一緒なので大丈夫だと言って
断りました。

草原で野草をつみました。
たくさんとって今夜の夕餉に使ってもらおうとがんばりました。
みんながわたくしにどの草が食べられるか教えてくれました。
女の子たちはみんなとても摘むのが早くて、見る見るうちにかごがいっぱいになっていきました。
なのに、わたくしは少ししか採れませんでした。
親切な子が、あとでわけてあげるね、と言ってくれましたが、なんとか自力でがんばろうと夢中になってとりました。

気がつくと、みんなから少し離れてしまっていました。
そのくせ、かごはまだぜんぜんいっぱいになっていませんでした。
わたくしががっくりしてみんなのほうに戻ろうとすると、着物の裾をひっぱられました。
一瞬ちびクロかと思って見ると、驚いたことに真守さんがわたくしのすぐ横に、草に隠れてしゃがんでいました。
真守さんは、
「昨日のお礼を言おうと思ったんだけど。それにしても、本当にとろい子だなぁ。ついついほっとけなくなるよ」
と言って、わたくしのかごにたくさんの野草を入れてくれました。
そして、わたくしがびっくりして何も言えないうちに、
「じゃあな」
と言って帰っていってしまいました。


女の子たちのところに戻ると、みんなわたくしのかごがいっぱいなのでびっくりしていました。
真守さんは日下部の人なので、なんとなくそのことはみんなに言えませんでした。
なんとなく阿高にも言えませんでした。

これは隠し事なのでしょうか?
阿高には隠し事などしたくないのに・・・。

どうしたらよいのか、千草さんに相談してみようと思います。

(付記)
野草をいれたおかゆ、おいしかったです。
でも、それが真守さんに手伝ってもらったものだとわかったら、阿高は怒るのでしょうか…。

 



阿高の日記17・野草摘み
at 2001 10/15 01:12 編集

今日は、午前中は農作業をし、午後は藤太たちと機織り部屋作りをした。

鈴は女たちと野草摘みに行った。
昨日の今日なので心配したが、鈴が大丈夫だと言うので黙って見送った。

夕方、鈴が帰ってきた。
たくさんの野草をかごいっぱいに持って帰っていた。
「ずいぶんたくさんとれたんだな。すごいじゃないか」
言って、おれは鈴の頭をなでてやった。
すると、鈴は何か言いたげにおれを見た。
「どうした?」
とおれが尋ねると、鈴は首を振って、
「ううん、なんでもないの」
と答えた。

女たちにいじめられたのかと思ったがそうではないらしい。
まさか真守だろうか?
でも、他の女たちと一緒だったのだから、そんなはずはない。
いったいどうしたのだろう。


夕飯前に台所をのぞいたら、鈴が高い棚にある大きなざるを取ろうと四苦八苦していた。
野草を洗うために、普段は使わない大きいざるを使うらしかった。
おれは鈴を後ろから抱えあげてやった。
鈴が、ありがとうと言って笑った。

わざわざ抱えあげなくても、おれが代わりに取ってやればよかったのだと、後で気づいた。
どうしてか、そのときは抱えてやることしか思いつかなかった。
本当にどうしてだろう・・・。

鈴はとても軽くて、柔らかかった。
 



苑上の日記18・国府
at 2001 10/23 23:43 編集

今日、藤太と千種さんが国府に呼び出されました。
千種さんのことで、国司に呼ばれたのです。
お父様と阿高も一緒に行くことになりました。
わたくしも心配だったのでついていくことにしました。
いざというときにわたくしの身分が何か役に立てるかもしれないと思ったからです。

国府に着くと、阿高たちは馬をつなぎ、わたくしにここで待っているようにと言い残して行ってしまいました。
わたくしはもし藤太がなにか罰せられるのだったらなんとかしようと、阿高たちが行ってしまったほうをずっと
見ていました。


しばらくそうしていると、厩の裏から何人もの男の人がやってきました。
ずいぶん若い男の人たちでした。
彼らはわたくしを見つけると、
「あれ、見たことのない子がいるぜ」
と言って近寄ってきました。
そして、わたくしに、
「あんたどこの子だい?」
と尋ねました。
男の人にぐるりと取り囲まれて、少し緊張しました。
わたくしが、
「竹芝の・・・」
と言いかけると、一人の男の人が、
「もしかして、阿高が都から連れて帰ったという女の子じゃないのか?なんとなくこのへんの子じゃない感じがするよ」
と言いました。
わたくしが小さくうなずくと、男の人たちは値踏みをするような目でわたくしを見ました。
わたくしはなんだかいやな気持ちになって黙っていました。
男の人たちは、
「なあ、都ではいま何が流行っているんだい?おれたちにも教えてくれよ」
と笑いました。
悪意はあまり感じられませんでしたが、大勢の人に囲まれて一方的にいろいろ言われるのは気分のいいものではありませんでした。

すると、誰かが男の人たちを割って入ってきました。
真守さんでした。
「ほら、おまえら、散った散った。こんなに大勢で取り囲んでわあわあ言ったらかわいそうだろ」
「真守、この子と知り合いかい?」
「ちょっとな」
そして、真守さんに促されて、男の人たちは行ってしまいました。
去り際にわたくしたちの方を見て笑いながら、口笛を吹いていました。
真守さんは、男の人たちに、
「ばーか。さっさと行きやがれ」
と笑いながらどなりました。
そして、わたくしの方に向き直り、
「ごめんな、あいつら、悪気はないんだけど、ちょっとばかし荒っぽい奴らでな」
と、謝りました。
そして、わたくしにどうしてこんなところにいるのか尋ねました。
わたくしが藤太が国司に呼ばれていることを話すと、真守さんはわたくしの肩をたたきながら、
「そんな心配そうな顔しなくって大丈夫さ。そりゃ、おれたちにはおもしろくないが、藤太にはなんの咎めもないはず
だぜ。それが坂東の風習だからな。ただ、たぶん、たまには千種を里帰りさせることとか、国司のために少し機を織る
ことなんかを約束させられてるはずだ」
「そうなの?」
わたくしは安心して、少し緊張が緩みました。
「あなたはどうしてこんなところにいるの?」
すると真守さんは
「ちょっと千種の様子を見たくてさ。あいつらがいるから、直接会うのはなんだけど、こっそり姿は見たぜ。千種が
元気そうで安心した」
と言って笑いました。

「そういや、この間は野草を食ったかい?」
と真守さんがわたくしに尋ねました。
わたくしはみんなに真守さんにもらったことを話してないと言いました。
すると、真守さんは、
「そりゃしょうがないさ。おれたちと二連は犬猿の仲だからな。おれもだれにも言わないよ。ばれたら鈴が困るだろ?」
と笑って、じゃあまたなと言って、馬に乗って帰っていきました。

そのすぐ後に、阿高たちが戻ってきました。
真守さんが言ったとおり、藤太には条件付でお咎めなしでした。
千種さんは藤太に抱きついて、
「よかった」
と涙を流していました。

「いま、だれかいなかったか?」
と阿高がきくので、真守さんがきたことを話しました。
阿高は、
「真守のやつ」
とぶつぶつ言っていました。

でも、阿高も藤太にお咎めがなくてほっとしたようでした。
わたくしもほっとしました。



千種さんは、今度、ご両親のところに挨拶に行くそうです。
藤太と千種さんの仲が認めてもらえて本当によかったです。



 



阿高の日記18・国府
at 2001 10/23 23:38 編集

今日、藤太と千種が国府に呼び出された。
おれと親父さまも一緒に行った。
鈴も行くと言ってきかなかった。
おれはとめたけれど、親父さまがいいと言ったので、鈴もくることになった。

国司は意外と話のわかる奴で、千種が藤太の嫁になることに同意していることを確認すると、千種をときどき両親の
もとに里帰りさせてやることと、国司のために何反か機を織ることを条件に、藤太は何の咎めも受けないことになった。

おれたちが厩にもどってくる途中、遠くから、鈴の隣にだれかいるのが見えた。
おれは厩に向かって走った。
だが、おれが着く前にそいつはいなくなっていた。
鈴に尋ねると、真守だということだった。

おれはなんだかむかむかするのを止められなかった。

帰り道、鈴と馬に相乗りした。
鈴が落ちないように抱えてやった。
鈴は藤太に咎めがなくてよかったと心からほっとしたようだった。
おれも、そのことに関しては、本当にほっとした。

でも、屋形に戻っても、おれはなんだかもやもやしていた。

鈴は真守のことを別に嫌っていないようだ。
真守は鈴にけっこう親切らしい。
真守の奴は、一体どういうつもりなのだろう。
まさか、あいつも鈴のことが好きなのだろうか?
・・・そんなわけがない。
あいつはほんの何日か前に初めて鈴に会ったんだから。
でも、藤太は数回会っただけで千種を好きになっていた。

そういえば、鈴はおれのことが本当に好きなのだろうか。
今まで信じて疑わなかったことまで不安になる。
鈴に好きだと言われたことはない。
おれも言ったことがない。
ただ、おれは一緒に竹芝に行かないか、と言うことで、自分の気持ちを示したつもりだった。
でも・・・。

それに鈴がおれのことを好きだとしても、心変わりしないという保証はない。
おれは鈴のことしか好きにならないと自信がもてる。
鈴以外の女なんていらない。
けれど、鈴はどうなんだろう。
鈴はかわいいから、他の男に求愛されるかもしれない。
あの真守だって、おれは気に食わないが、日下部ではそこそこ女に人気があるというし、おれよりよほど口が立つ。
もし、鈴が他の男のほうがいいと言ったら、そうしたらおれはどうすればいいんだろう。
鈴がいない生活なんてもう考えられないのに・・・。




夜中に嫌な夢を見て目が覚めた。
鈴がいなくなる夢だった。
横を見ると、鈴は穏やかに眠っていた。
鈴はここにいる。そう思っても、不安で胸が苦しくてたまらなかった。
息が苦しくて、おれは部屋を出た。

おれが軒先に座ってぼんやりしていると、豊高兄が通りかかった。水を飲みに起きたらしい。
「どうした、阿ー坊。なんだ、しけた面して」
と笑った。
「もしかして恋の悩みか?兄ちゃんに言ってみな?若いっていいねえ、うんうん」
と頭に手をのせてきた。
おれが無言で手を振り払うと、豊高兄は少しまじめな顔になった。
「どうした?言ってみろよ」
おれは促されて、ぽつぽつと話した。

おれの話をききおわると、豊高兄は腕組みをして少し考え込んでから、言った。
「そういうふうに、自分で勝手に想像するのが一番悪いんだぞ、阿高。余計にことをこじらせる。人から聞いた話や、
自分の想像にまどわされるな。大事な人ならぶつかっていけ。直接話をしろ。相手がどう思っているのか、そんなことは
きかなきゃわからんことだ」
「うん・・・」
おれが神妙にうなずくと、豊高兄はにかっと笑った。
「だーいじょうぶだって。おれが見たところじゃ、鈴ちゃんは阿ー坊にホレてるさ。もっともお前は鈴ちゃんにべたぼれ
って感じだがなぁ」

おれはぷいと顔をそむけた。
けれど、気持ちは少し楽になっていた。
「豊高兄もたまにはいいこと言うよな」
とおれが言うと、豊高兄は、
「なんだと?おれは年中いいことしか言わないだろうが」
と憤慨していた。


明日は鈴と、約束していた野駆けに行こう。
そして鈴とたくさん話をしよう。
部屋に戻って鈴の寝顔を見ながら、そう思った。









 



番外・広梨の日記・帰還(悠さまリクエスト)
at 2001 10/16 16:21 編集

おれは広梨という。
梨という字は、親父からもらった字だ。
そして、広という字は、心の広い子になるようにとつけられたらしい。

おかげさまで、このとおり、ずいぶん心の広い人間になった。
阿高を探しに北に行き、伊勢に行き、都に行き。
阿高が皇女さまをさらうのを手伝ったかと思えば、今度は藤太が千種をさらうのをお手伝い。
まあ、二連が好きだからできることだけれどね。

あいつらはすごい。
人間として、すごい魅力を持っている。
あの茂里でさえ、惹きつけられた。
そういうやつらだ。
おれはあいつらといるのが好きだし、楽しい。
すごい友達がいることを誇りにも思う。

だが、ときどき、思う。
おれはなんなんだろうって。
とりたててとりえもない。
二連のような魅力もないし、茂里のように頭がいいわけでもない。
人が良いとほめられるけれど、それだけだ。
普段は気にもしていないけれど、たまにそんなことを考えてしまう。

彼女もいたけれど、阿高と鈴や、藤太と千種のような強い結びつきだったわけじゃなかった。
彼女は、はじめは阿高や藤太と話がしたくて、おれと仲良くなったらしい。
いい男が他にいればおれとは別れるっていつも口にしてた。
おれは優しくて便利だからつきあってるのだと。
それでもよかった。
おれは彼女が好きだったから。

阿高を追いかけて北へ立つとき、彼女にお別れを言いに行った。
「ごめん、藤太たちと北に行くよ。無事に帰ってこられるかわからない。今までありがとう。きみとつきあえて幸せ
だったよ。きみがだれかいい奴と夫婦になって幸せになれることを祈ってる」
と言った。
彼女は怒りで顔を真っ赤にしながら、
「ばか!どこへでも行っちゃえば!」
と、おれのほおを平手で打った。


すべてがすんで竹芝に帰ってきた日、夜、寝ながら彼女のことを考えた。
当然、他の男がいるだろう、と思った。
道ですれ違ったりしたときに、おれはにっこり笑って挨拶ができるだろうか、とも考えた。

そのとき、外で女の声がした。
「広梨!!」
と叫んでいた。
彼女だった。
おれがあわてて家から出ると、彼女がおれに飛びついてきた。
彼女はわあわあ泣いた。
「なによ!なんであたしのところに挨拶にこないのよ!」
と怒っていた。
「だって、きみに迷惑がかかるだろう?今さら、昔の男が挨拶にきたりしたら」
とおれが言うと、彼女はげんこつでおれの胸をばんばんたたいた。
「なにが昔の男よ・・・あんたしかいないに決まってるじゃない」
おれはびっくりしてしまった。
「本当に新しい男、いないのかい?」
すると、彼女は真っ赤に泣きはらした目でおれを見た。
「いないわよ!悪かったわね!」
「いや、ぜんぜん悪くないけど・・・」
とおれが少し笑うと、彼女は怒ったように言った。
「あたしだって、あたしをほっぽって行っちゃったあんたなんかより、他の人を好きになろうとしたわよ!でもだめ
なんだもの!どうしてもあんたじゃなきゃだめなんだもの!」
そして、おれに抱きついて泣きじゃくった。
「よかった・・・広梨が戻ってきた・・・」
「ごめんな」
おれは彼女の頭をなでてやった。
すると、彼女はきっとおれをみすえた。
「あんたこそ、都にいい女がいたんじゃないの?」
「そんなわけないだろ。おれはずっときみが好きだよ」
おれはそう言って、彼女をきつく抱きしめた。
彼女もおれに応えてくれた。



おれは幸せだ。
いい友達がいて、竹芝に暮らせて。

おれは幸せだ。
おれには、誰もかもを惹きつける魅力はないけれど、彼女はおれがいいと言ってくれるのだから。

ああ、おれは本当に幸せだ・・・・。


 



番外・クロの日記・新しい犬(宵月さまリクエスト)
at 2001 10/17 12:56 編集

ぼくの名前はクロっていうの。
黒い犬だからだよ。

阿高に初めて会ったのは、ちょうど今くらいの寒い冬の日だったよ。
お母さんが死んでしまって、他の兄弟たちもみんな死んでしまって、ぼくも死にかけていたんだ。
寒くて、おなかがすいて、助けてー、助けてー、って鳴いてたの。
お母さんや兄弟が死んで悲しいということより、寒い、おなかがすいた、っていうことしか考えられなくなってた。
しかたなかったのかもしれないけれど、ぼくはそのときのことを思い出すと、なんだか自分がいやになる。

でも、そんなとき、阿高がきてくれた。
ぼくを懐であっためてくれて、餌をくれたよ。
「もう大丈夫だぞ」
って優しい声で言われて、とてもほっとしたのを覚えてる。


ぼくは阿高が大好きだよ。
だから、阿高がいなくなってしまって寂しくて死にそうだった。
毎日たくさん鳴いて、うるさいってしかられてたよ。

阿高が帰ってきたとき、ぼくはうれしかった。
でも、阿高の隣に、大きくて黒い、強そうな犬がいるのを見て、体中の力が抜けた。
あ、新しい犬だ・・・って。
ぼくみたいな役立たずより、阿高はもっといい犬を見つけたんだって。
阿高はぼくに優しくしてくれたけれど、ぼくは胸が張り裂けそうだった。
ぼくは、新しい犬の顔をもう見たくなくて、自分の小屋に閉じこもった。

えさの時間になって、ちょっとおなかすいたなって思ったけれど、なんとなく意地を張って、ぼくは小屋から出なかった。
すると、外から
「おい」
と、声をかけられた。
「食わねーのか?出てこいよ」
新しい黒い犬だった。
ぼくが無視していると、
「出て来いっつってんだろうが!」
と吼えられたので、おそるおそる小屋を出た。
新しい犬は、ぼくをじろじろ眺めた。
「おまえがクロか」
そして、ため息をついた。
「まったく、阿高の奴・・・」
とぶつぶつ言っていた。
ぼくは、おそるおそる新しい犬に名前を尋ねた。
「き、きみの名前は?」
すると、新しい犬は、すごくいやそうな顔をしながら答えた。
「ちびクロ」
「ちび・・・クロ?」
ぼくがびっくりしていると、彼はうんざりした顔で言った。
「ああ、そうだよ、お前の名前からとってんだよ。たまたまオレが子犬だったからってよ、ひでーよなぁ」
「ぼくの名前・・・?じゃあ、阿高はぼくのことを忘れてたわけじゃなかったんだ・・・」
「たりめーだろーがよ。旅の途中うんざりするほどお前の話を聞かされたぜ。クロがクロがってよ。だからどんなに
すごい犬かと思えば・・・」
ぼくはちょっとうれしくなった。
「ごめんね、こんな犬で」
すると、ちびクロくんはにやっと笑った。
「ま、いいけどな。おまえなかなかおもしろそうだし。ちょっと鈴に似てるぜ」

そして、ぼくとちびクロくんは仲良くなった。

ぼくはちびクロくんが好きだ。
ちびクロくんは、とろいぼくをいつも助けてくれる。
「ほら、ぼさっとしてんじゃねーよ」
とか、言葉は乱暴だけど、さすが阿高が選んだ犬だけあって、本当はとても親切なんだ。

それに、ぼくはもうちびクロくんに嫉妬しないよ。
だって・・・。

「あ、鈴だ!鈴、鈴、鈴、鈴、遊んでー!」
「おまえなあ、そんなに鈴が好きかよ」
ちびクロくんにはばかにされるけど、ぼくは鈴が大好きなの。
もう鈴の犬になっちゃおうかな。
「クロ、おいで」
鈴はぼくとよく遊んでくれる。
いっぱいなでてくれる。
えさもくれる。
しかもかわいいんだ。
「鈴、大好きー」
ぼくが鈴のほっぺたをぺろぺろ舐めると、鈴は喜ぶ。
そんなとき、ちびクロくんはちょっとうらやましそうだ。
素直に甘えられる、これはぼくの数少ない特技なんだ、ごめんね、ちびクロくん!




 



苑上の日記19・夕日(道さまリクエスト)
at 2001 10/18 13:12 編集

今日の夕方、阿高と野駆けに行きました。
わたくしは阿高と相乗りをしました。
阿高は、
「鈴、しっかりつかまってろよ」
と笑って、勢いよく馬を駆けさせました。
わたくしは阿高に言われたとおり、馬の鞍と阿高の着物をしっかりつかんでおきました。

阿高は、少し高台になった、見晴らしのよいところまで、馬を駆けさせました。
「鈴、このへんでいいか?ここなら夕日がよく見える」
と阿高は馬を降りました。
竹芝一帯がよく見渡せる場所でした。
わたくしはうなずき、阿高の手を借りて馬からおりると、そのまま阿高の手を引いて、少し平らになっているところに
腰をおろしました。
阿高もわたくしの横であぐらをかきました。

日が落ちてきて、夕焼けが始まりました。

わたくしは夕焼けがとても好きです。
竹芝の広い広い草原に風が吹いて波打つ、その向こうに見える夕日が大好きです。
都にいたときは、夕焼けとは赤いもの、なんだか不吉な気さえするものでした。
でも、竹芝にきて、夕日がこんなにも美しいことを知りました。

たなびく雲が天女の羽衣のように淡い金色に輝くことを。
日が沈むにつれて、空の上の方は青く、太陽の周りは黄色く、そして山辺はだいだい色に、淡く淡く色づくことを。
そんな夜と昼の境目が本当にできることを。
わたくしは竹芝で初めて知りました。

わたくしが夕日を好むのを、阿高は当初は不思議そうにしていました。
でも、竹芝に来てから、何度となく、夕日を見にわたくしを連れ出してくれました。
そして共に夕日を眺めてくれました。



今日の夕焼けは特に美しくて、わたくしは日が大方沈んでしまうまで、じっと目を離さないでいました。
「きれいね、阿高」
「ああ」
「本当に、本当にきれいね」
「ああ、そうだな」
阿高はそう言って笑うと、わたくしの肩をそっと抱いてくれました。

夕焼けが終わり、だんだん薄暗くなってきて、わたくしは立ち上がりました。
「阿高。暗くなってきたわ、帰らなきゃ」
でも、阿高は返事をしませんでした。
「阿高?どうしたの?」
わたくしがひざに手をついて阿高の顔をのぞきこむと、阿高に腕をつかまれました。
そして、ぐいっと引っ張られました。
「えっ?」
とわたくしが言うか言わないかのうちに、わたくしは阿高の腕の中に倒れこんでいました。
阿高はわたくしを強く抱きしめました。
「・・・鈴。好きだ、鈴」
「阿高・・・」
わたくしが驚いていると、阿高はわたくしの髪や背中をなでながら、
「好きだ。鈴が好きなんだ」
と繰り返しました。
わたくしはびっくりしたものの、とてもうれしくなって、
「わたくしも阿高が好きよ」
と言いました。
すると、阿高は、わたくしのほおを両手ではさみ、わたくしの顔をじっとみつめました。
「おれは鈴だけだよ。鈴だけが好きだ。ずっと鈴だけだ」
そして、少し不安な目をしてわたくしに尋ねました。
「鈴は・・・?」

阿高の声があまりに切なくて、わたくしは少し泣きそうになって答えました。
「わたくしだって阿高だけよ。ずっとよ。当然でしょう」
そして、少し涙が出てしまいました。
「どうしてわからないの?わたくしがだれのために竹芝にいると思っているの?一緒にいたいから・・・阿高と一緒に
いたいから、賀美野や兄上とお別れしてここにきたのに」
わたくしが泣いているのに気がついて、阿高は慌てたように顔をあげました。
「ごめん、泣くなよ。鈴に泣かれるとどうしていいかわからなくなる」
阿高はわたくしの頭をやさしくなでました。そして、わたくしの髪やほおに、軽く口づけました。わたくしは驚いて
いっきに泣き止みました。
阿高はわたくしが泣き止んだのを見ると、ゆっくりと顔を離しました。
「・・・ごめんな、鈴。おれ、鈴が真守と親しげだから、妬いてた」
「え?真守さん?」
わたくしはびっくりして恥ずかしさもどこかへ飛んでいってしまいました。
阿高が真守さんのことをそんな風に気にしているとは夢にも思わなかったからです。
「阿高、あのね、この間の野草、本当は真守さんにもらったの。でも、誤解しないで。わたくしが好きなのは阿高だけ。
真守さんじゃないわ」
「そうか・・・」
阿高は、野草のことでは驚いたようでしたが、明らかにほっとした表情を浮かべてわたくしを抱きしめました。
「よかった・・・」
わたくしも阿高の首に腕を回しました。
阿高の体は温かくて、わたくしはこれ以上ないというほど幸せな気持ちになりました。
わたくしは本当にこの人が好きなのだなあと思いました。

夜、お布団を敷き終わって、いつものように阿高におやすみなさいを言うと、阿高は微笑んで、おやすみと言って、
当たり前のようにわたくしのほおに軽く接吻しました。
お屋形の中なのでびっくりしたけれど、やっぱりうれしかったです。




 



阿高の日記19・夕日
at 2001 10/21 12:15 編集

今日、夕方、鈴と出かけた。
約束していた野駆けだ。
あんまり速いと鈴が怖がると思って、ゆっくり馬を駆けさせた。
それでも、鈴はおれの着物をしっかりと握っていた。


鈴は夕日を見るのがとても好きだ。
天気のよい日は、夕方になると夕日を見に出て行く。
今日もそのために出かけたようなものだった。


見晴らしのいい場所までくると、馬を下りた。
二人で草の上に腰をおろした。
鈴は夕焼けに見入っていた。
微妙な色の変化をじっと見つめていた。
「きれいね、阿高」
と、視線は夕焼けからそらさずに微笑みながら、鈴は言った。
「ああ」
とおれはうなずいた。
鈴に言われるまで、夕日をきちんとみたことがなかった。
夕日を見たら、ああ夕方だ、一日が終わったな、と思うだけだった。

鈴は雲や空や山のいろにひどく感動しているようだった。
鈴は高揚した声で、また言った。
「本当に…本当にきれいね」

鈴は背筋を伸ばし、金色の夕日を受けて座っていた。
ほおは上気し、表情は輝くばかりに明るい。
鈴のことを、まぶしいと思った。
夕日のせいだけなのだろうか、と考えた。

「ああ、そうだな」
と、おれはもう一度うなずき、鈴の肩を抱いた。
そして、夕日に目を向けた。
夕日は本当にきれいだった。

おれは竹芝にいて、隣には鈴がいて、一緒にこんなに美しい夕日を見ている。
そう思ったら、なんだか幸せすぎて泣きたくなった。
鈴の肩を抱く腕に、少し力をこめた。


太陽のほとんどが山に沈むと、あたりは急に薄暗くなった。
鈴は立ち上がって、着物についた草をはらいながら、
「帰りましょう、阿高」
と言った。

おれは答えなかった。
まだ帰るわけにはいかなかった。
まだ鈴と話をしていなかった。

おれが黙っていると、鈴は座り込んだままのおれの顔をのぞきこんで、
「阿高。どうしたの?」
と尋ねてきた。
説明しようとしたけれど、何をどう言えばいいのか迷った。

衝動的に、おれは鈴の腕を引っ張っていた。
倒れこんできた鈴を両腕でしっかりと受け止め、抱きしめた。
「好きだ」
と、繰り返した。

鈴は笑って、おれのことが好きだと言ってくれた。
おれは少しほっとしたけれど、まだ安心できなくて、さらに言葉を継いだ。
鈴はずっとおれだけが好きなのか、と尋ねた。

すると、鈴はみるみる瞳をうるませた。
「どうしてわからないの?」
と鈴は泣いた。
おれのせいで鈴が泣いていると思うと、苦しかった。なんとかしなくては、と思った。

懸命に鈴の頭をなでた。
思い余って、鈴の髪とほおに口づけもした。
鈴は驚いたように目を見開いた。

おれは、豊高兄の言葉を思い出しながら、思い切って自分の気持ちを話した。
真守に妬いていたと。
妬く、という言葉を使うのには少し抵抗があったが、自分の気持ちは嫉妬以外の何者でもないのだと思い、鈴にきちんと
伝わるように、あえて口にした。

鈴は心底驚いたという顔をした。
そして、真守には野草をもらったものの好きではなく、おれのことだけが好きなのだと言った。

鈴のその言葉に、このところずっと胸にあったもやもやしたものが吹き飛んだ。
野草なんてどうでもよかった。
鈴は真守ではなく、おれが好きなのだと、鈴に言葉にしてもらって、おれはようやく安心した。

自分でも馬鹿な男だと思った。
鈴の言葉に一喜一憂するばかな男だ。
昔はそんな男を見るとあきれていたが、いまならそんな奴の気持ちもわかると思った。



屋形に帰ると、さっそく豊高兄がおれを物陰にひっぱりこんだ。
「どうだった、阿ー坊。その顔を見た限りじゃうまくいったようだな」
とにやにやした。
「まあね」
と短く言って、おれは踵を返した。
豊高兄が根掘り葉掘り訊いてくる予感がしたからだ。
案の定、豊高兄はおれの肩をつかんで引き戻し言った。
「なあ、阿ー坊。接吻くらいはしたよなあ?」
無視して部屋に戻ろうとすると、豊高兄はおれを必死でひきとめた。
「頼む、阿高、教えてくれ。美郷姉たちと賭けてるんだよ。おれは唇に賭けてるんだが、他のみんなはせいぜいほお
くらいだろうって。なあ、阿高、頼む」
おれは頭痛がしそうになる頭をおさえて言った。
「悪いけど、豊高兄の負けだね」
そして、がっくりして嘆く豊高兄を残して部屋に戻った。


部屋では鈴が布団を敷き終わっていた。
おやすみと微笑む鈴のほおに、そっと口づけた。
鈴は、
「あ、阿高?」
とあわてふためき、真っ赤になってから、隠れるように布団にもぐりこんだ。
そして、ずいぶんたってから、
「阿高・・・また夕日を見に行きましょうね」
と、布団の中から声がした。

少し笑ってから、承諾した・・・。







阿高の日記20・頼みごと
at 2001 10/23 23:37 編集

今日、仕事を終えて帰ってきたら、豊高兄につかまった。

「阿ー坊。騎射の大会、出てくれるよな?」
と、言われた。
「昨日、美郷姉との賭けにも負けてさんざんなんだよ。つまり、なんだ、その、ここのところ負け続きでな。
ちょっと助けてもらえないかと」
おれは即座に断った。
すると、豊高兄は、
「頼むよ、阿ー坊。な、この通り」
と頭を下げてきた。
おれが首を振ると、豊高兄は、いきなり、
「おーい、鈴ちゃん。ちょっときてくれないかな」
と鈴を呼んだ。
すぐに鈴が奥からぱたぱたと駆けてきて、
「何ですか、豊高さん?・・・まあ、阿高。お帰りなさい」
と笑った。
おれがつられて笑ったすきに、豊高兄は鈴に言った。
「なあ、鈴ちゃん、阿高が騎射するところ、見たいよな?馬に乗って的を射るんだ、かっこいいぞ?」
すると、予想通り、鈴は顔を輝かせて、
「素敵!ぜひ見たいです」
と言った。
豊高兄はわが意を得たりとばかりににやっと笑っておれを見た。
「ほら、鈴ちゃんも見たいってさ」

おれは豊高兄を無視して、鈴の方を向いた。
「鈴、本当に見たいのか?」
鈴は一瞬きょとんとして、それから笑顔になってうなずいた。
「もちろん見たいわ、阿高」
「そうか・・・」

おれはしばらく考え込んだが、あきらめてしぶしぶ騎射に出ることを承諾した。

「やった!鈴ちゃん、ありがとうな」
と豊高兄は大喜びだったし、鈴は鈴で、
「阿高が弓をひくところ、一度見てみたかったの」
とはしゃいでいた。

鈴がそう言うのだから、しかたない。



しっかり弓の鍛錬をしよう、と思った・・・。


 



苑上の日記20・頼みごと
at 2001 10/24 00:02 編集

今日、夕餉の仕度をしていたら、突然屋形の外から豊高さんが、
「鈴ちゃん、ちょっときてくれないか」
と呼んでらっしゃるのが聞こえました。
美郷さんと千種さんが、行ってきていいわよとおっしゃったので、外に出て行きました。
すると、阿高が畑仕事から帰ってきていました。
わたくしがおかえりなさいと言うと、阿高も笑ってただいまと言ってくれました。

豊高さんに、突然、
「鈴ちゃん、阿高が弓をひいているところ、見たくないかい?」
と聞かれました。
わたくしは即座に見たいと答えました。
前からずっと、見てみたいと思っていたのです。

阿高は妙な顔をしていましたが、私が見たいと言うと、しかたないという風に笑ってうなずきました。

わたくしは、阿高は弓をしたくなかったのかしらと思って少し心配になりましたが、旅をしていたときも、阿高は藤太と
くじをひいてまで弓を射たがっていたので大丈夫かなと思い、阿高の様子を見ました。

阿高は豊高さんには渋い顔をしていましたが、弓と聞いて、なんだか生き生きしているように見えました。
やっぱり阿高は弓が好きなんだなと思い、安心ました。

阿高の騎射、とても楽しみです。
がんばって、お弁当を作ったり、応援したりしたいです。
 



阿高の日記21・出迎え
at 2001 10/25 01:50 編集

今日はいつもどおり、畑仕事と機織り部屋作りで一日が終わった。
なんだか少し疲れて、屋形に戻った。

屋形に戻ると、鈴が飛び出してきた。
「阿高、お帰りなさい」
と笑った。

・・・ほっとした。
鈴に出迎えられると、なんだか急に疲れが吹き飛ぶ気がする。
おれも笑って、ただいまと言った。

でも、あまりにおれが帰るのにぴったりに出てきたので驚いた。
「どうしておれが帰ってくるのがわかったんだ」
と尋ねると、鈴はくすくす笑って、
「昨日、気づいたんだけど、阿高が帰ってくるとちびクロたちの鳴き方が少し違うの。なんだかうれしそうだから」
と言った。

鳴き声の違いがずいぶん分かるようになったと言って、得意そうな鈴の様子がかわいくて、おれは鈴の頭をぽんぽんと
した。
「よかったな」
と言った。
鈴はうなずいてにこにこしていた。

夜、鈴が肩を揉んでくれた。
鈴の手は、藤太やなんかとは違ってとても柔らかかった。
一生懸命揉んでくれた。
うれしかった。


明日もがんばろう、と思った。

 



苑上の日記21・出迎え
at 2001 10/25 01:48 編集

夕方、ちびクロたちの吼え方が少し違うように思って表に出ると、阿高が帰ってきていました。

毎日、日中はそれほど阿高といられるわけではないので、阿高が帰ってくると、わたくしはとてもうれしくなって
しまいます。

「おかえりなさい」
とわたくしが言うと、阿高はどうしてわかったんだというようにびっくりして、それから笑ってただいまと言って
くれました。

阿高は、ただいまと言うとき、いつも必ず笑ってくれます。
わたくしは阿高の笑った顔が大好きなのでとてもうれしくなります。

阿高は少し疲れていたようでした。
藤太が、今日の仕事は少しきつかったと言っていました。

寝る前に阿高の肩を揉んであげました。
阿高はとてもよろこんでくれました。
阿高もお返しにわたくしの肩を揉むと言いましたが、わたくしは平気だったので、今度お願いね、と言いました。

少しは阿高のためにできることがあってよかったです。 



苑上の日記22・都からの便り
at 2001 10/26 16:41 編集

今日、お屋形に坂上少将のお使いの人がきました。
兄上と賀美野と坂上少将の書簡とみやげの品を持ってきてくれたのです。

「苑上様によろしく申し上げるよう坂上より言付かって参りました」
「使者殿、遠路はるばるご苦労さまでした。返事を書きますから、少し待ってくださいますか?」
お使者の方も、だいぶお疲れのようで、お屋形で休めるのを喜んでいました。

まず、兄上の文を読みました。
兄上のお文は、とても上等な薄紅色の紙に書かれていました。
わたくしのことを心配してくださっているようでした。困ったことが起きたら力になるから、いつでも書簡をよこす
ようにと書いてありました。
ありがたいことだと思い、兄上の優しいお顔を思い出しました。

次に、賀美野の文をひらきました。
開いたとたん、間から、別の紙が落ちてきました。書写の紙でした。それにはたくさんの丸がついていました。
『見て、ねえさま。博士がこんなにたくさん丸をくれました』
という賀美野の声と無邪気な笑顔が頭の中によみがえりました。思わず目頭が熱くなってしまうのを、わたくしは
止められませんでした。
賀美野の手紙には『兄上に阿高はどんな人かと尋ねられたので、いいところをたくさん言っておきました』とあり、
思わず笑ってしまいました。

坂上少将の文には、『いつでもどんなことでもお申し付けください。喜んでお手伝いさせていただきます』と書いて
ありました。うれしくて胸がいっぱいになりました。

みやげの品を開けてみると、兄上からの包みには高価な着物や調度品、それからたくさんのお金が入っていました。
賀美野のほうには、文を書くための紙と墨と硯、それから都でしか食べられない干菓子が山ほど入っていました。

わたくしは兄上からのおみやげから髪結いの紐だけを抜き出し、残りの着物や調度品やお金を持って、お父様のお部屋を
訪ねました。

お父様はなにかの書簡に目を通していらっしゃいましたが、わたくしがくると、
「どうぞお入りなさい」
と笑ってくださいました。

わたくしは、少し緊張して座り、そして思い切って言いました。
「あの、この品々、竹芝のために使ってください」
するとお父様は、
「でも、それはあなたに贈られたものでしょう」
と微笑まれました。
わたくしはさらに続けました。
「この品々はわたくしが努力して手に入れたものではありません。竹芝が裕福なのは知っています。こんなものが
なくても十分なことも知っています。でも、これを竹芝のために使って欲しいのです。阿高のお父さまが蝦夷との
戦で亡くなってから、竹芝は兵役免除を買い取っているとききました。そのお金の足しにしていただきたいのです」

お父様はしばらく目を閉じて考えていらっしゃいましたが、やがてゆっくりと目を開けて微笑まれました。
「これだけあれば、足しどころか、兵役免除何年分にもなりますよ。ありがとう、鈴さんのお気持ち、いただくことに
します」
「ありがとうございます」
わたくしは深く頭を下げました。
「ただ」
とお父様は言い継ぎました。
「着物や調度品は残しておきましょう」
わたくしはびっくりして首を振りました。

すると、お父様は意味ありげに微笑まれました。
「鈴さんは気づかないのかな?これらはあなたの兄上が花嫁道具として贈られたものでしょう?」

そう言われて、わたくしははっとしました。兄上のご意志はそうだったのだと初めて気づきました。

「千種さんにも着物を一枚貸してあげるのはいかがですか?華やかなお色直しになるでしょう」
とお父様は愉快そうに笑われました。
「はい。・・・はい、喜んで」
わたくしはうれしくてたまらなくなりました。


わたくしは、兄上と賀美野と坂上少将に心からのお礼をこめた文を書き、近況も付け加えました。
お父様が、
「これを持って行ってもらうといい」
とおっしゃって、お酒の壷を3つ下さったので、書簡と一緒にそれもお使者に預けました。


お屋形の人たちみんなで賀美野がくれた干菓子を食べました。
みんなおいしいと言って、うれしそうでした。


夜、千種さんと一緒に、阿高と藤太の前で、兄上がくれた着物を着て見せました。
千種さんは、
「わたしのような田舎娘には似あわないのではないかしら」
と心配していましたが、
藤太は、
「千種、本当にきれいだよ。生まれながらのお姫様みたいだ。惚れ直したよ」
と大喜びでした。
千種さんは機織りをしていることが多いせいか、色が白く、明るい色の着物がとても映えていました。

阿高は、わたくしに
「よく似合うよ」
と笑って、わたくしの髪が乱れないように、そっと頭をなでてくれました。

みんなが喜んでくれてよかったです。
兄上、賀美野、坂上少将には本当に感謝です。







 



阿高の日記22・都からの便り
at 2001 10/28 01:33 編集

今日、鈴の兄弟から書簡とみやげが届いたらしい。

夕方、親父さまに呼ばれた。
鈴がみやげの品を兵役免除のために使ってくれと頼んできたと言われた。
「鈴さんは、おまえや藤太や広梨やみんなが戦に行かないでいいように、というつもりのようだな」
と微笑んだ。
親父さまは豪快に笑うことはあっても、そんな風に優しく笑うことはめずらしいので驚いた。
「鈴さんにはそのために使うと言ったけれど、私はちゃんと別にとっておこうと思う。おまえたちも将来夫婦になれば、
金が必要なときもあるだろう。そのときに使いなさい」
「はい、わかりました」
おれはうなずいた。
すると、親父さまは思い出したように声を出して笑った。
「まったく、本当に一途でいい子だな。皇女さまだというのに、高飛車なところが全くない。あの子を見ていて、少し
皇に対する考えが変わったよ」
そして、笑みを残したまま言った。
「阿高、いい子を見つけたな。大事にしてあげなさい。あの子は、勾玉などよりずっと大切な、おまえの宝なのだろう」


部屋に戻ると、鈴と千種が絹の着物を着ていた。
藤太もいて、美しい着物を着た千種を、これ以上ないというほどほめたたえていた。

鈴は、ちょっとはにかんでおれを見上げていた。
鈴がこんな着物を着ているのを見たのは、鈴をさらいだしたとき以来だったので、なんだかびっくりした。
「よく似合うよ」
と言った。口下手な自分が呪わしかった。
それでも鈴はとてもうれしそうに、
「よかった」
と笑ってくれた。
鈴の肩を抱き寄せて、頭をなでた。
本当は抱きしめたかったけれど、藤太たちがいるので我慢した。

鈴の頭をなでながら、親父さまが最後に言った言葉を何度もかみしめた・・・。








 



番外・ちび藤太の日記・秘密
at 2001 10/30 04:34 編集

ゆうべ、阿高が変だった。
寝入ったと思ったら、突然目を開けたんだ。
そして、おれを見て笑った。
「本当によく似ている・・・」
とうれしそうだった。
「阿高?」
おれは訳がわからなかった。
阿高は、続けて言った。
「藤太、いいことを教えてあげる。明日、山に行ってはいけない、山崩れがあるから」
「なんだって?」
次の日、おれたちはきのこを採りに山に行くことになっていたのだ。
阿高は繰り返した。
「山崩れで人が死ぬ。だから行ってはいけない」
「ちょっと待ってくれ、いったいどうしたんだ阿高」
おれは阿高をゆさぶった。
阿高はもう目を閉じていたが、おれがゆさぶると、眉をしかめながら目を開けた。
「なんだよ、藤太。一体どうしたというんだ」
「それはこっちの台詞だ]
おれは阿高に、今しゃべったことはなんだと尋ねたが、阿高は、
「知らないよ、寝言だろう。もう寝かせてくれ」
と言って、また寝てしまった。

おれは眠れず、布団の中で考え込んだ。
あれは誰なのだ、と。
阿高ではないような気がした。
物心ついたときから一緒にいるが、阿高があんなにひんやりとした気配を漂わせたことはいままで一度としてなかった
からだ。

朝、目が覚めると、阿高は出かける仕度を整えておれを待っていた。
「藤太、早くしろよ」
と笑った。
阿高は、松茸を採るのだとはりきっていた。
でも、おれは昨日の夜中の出来事が気になってたまらなかった。
阿高が寝ぼけたのだとはどうしても思えなかった。

おれは心を決めて、床にうずくまった。
「・・・痛い」
「どうした藤太?」
阿高が飛んできた。
「腹が、腹が、めちゃくちゃ痛い」
「大丈夫か?」
阿高は心配そうにおれをのぞきこんで、美郷姉を呼びに行った。

美郷姉には、
「変なものは食べていないはずよ。食べすぎかしらね。それとも、もしかして・・・きのう拾い食いでもしたか、
おなかを出して寝たわね?」
とあんまりなことを言われたが、気にしなかった。
おれはひたすら時間が過ぎるのを待った。


夕餉の時間になり、おれはもう治ったと言って美郷姉をあきれさせながら、何杯もおかわりした。
すると、親父さまが渋い顔で言った。
「今日、山崩れがあったらしい」
おれは驚いて箸を落としそうになったが、心のどこかでやっぱりとも思っていた。
「竹芝の者も何人か巻き込まれた。それが、ちょうど今日、藤太たちが行くはずの場所でな。藤太が腹痛になって、
本当に良かった」
と親父さまは言った。
家族もみんな、本当に良かったとつぶやいていた。


おれは一人、先に部屋に戻り、考えた。

本当に、阿高が言ったとおり、人が死んだ。

少しこわかった。
でも、こんなことを他の人に言ったら、阿高がつらい目にあう。

父親も母親も亡くしている阿高。
父親は蝦夷との戦で戦死し、母親はどうやら蝦夷の女らしい。
そんなつらい立場にある阿高に、これ以上負い目を増やしたくない。

誰にも言わないでおこう、とおれは思った。
阿高本人にも、だ。
阿高は知れば悩むに決まっている。


そこへ、阿高が部屋に戻ってきた。
「すごいね、山崩れだって。藤太のはらいた様様だね」
と笑った。



阿高の笑顔を守ってやろう、と思った。
大事な大事なおれの相棒。
阿高が笑っていられるように、おれにできることはなんでもしてやろう、と強く思った。
そうだ、同い年とはいえ、おれは叔父なんだから、甥っ子を守ってやらなきゃいけない。

そんなことを偉そうに考えて、おれは笑った。
「阿高、きのこは逃したけれど、今度は狩りに行こう」
阿高は笑ってうなずいた。


阿高は、あるいは、阿高の中にいるだれかは、おれと阿高を守ってくれた。
そう考えたら、ふいにお礼が言いたくなった。
「ありがとな」
突然おれが言うと、阿高は何のことかとびっくりしていた。
「まあ、気にするな」
とおれはまた笑った。

阿高の中にいるだれかにも、きっと届いただろうと思った・・・。


 



阿高の日記23・望郷
at 2001 10/29 23:36 編集

今日、鈴の様子が少し変だった。
笑っていても、ふと黙った拍子に目がうるむ。
その繰り返しだった。

どうしたのかと尋ねた。
鈴はなんでもないと首を振っていたが、おれがしつこく尋ねると、
「少しだけ・・・賀美野や兄上に会いたくなってしまったの」
と言った。
弟の名を口にした瞬間、目に涙が盛り上がりあふれた。
言葉にしたことで鈴は感情が高まってしまったらしく、ぽろぽろと涙を流し続けた。
「ここが好き、竹芝が好きよ。阿高たちといられて幸せなの。でも・・・」
鈴はおれを見上げ、そしておれの首に抱きついて、しゃくりあげながら言った。
「でも、賀美野や兄上に会いたい・・・」

おれの首筋に鈴の涙が落ちてきた。

おれは黙って鈴を抱きしめ、背中をぽんぽんとしてやった。


鈴はだいぶ泣いた後でようやく泣き止み、少しすっきりした表情で顔をあげた。そして恥ずかしそうに微笑んだ。
「ごめんなさい・・・昨日、書簡を読んだらなんだか急に都がなつかしくなってしまって・・・。でも、もう平気。
阿高にくっついてぎゅってしてもらっていたら、なんだかすごく安心して、寂しいことなんて何もないんだって
思えたから」
おれは鈴の頭に手をおいて、
「これぐらいいつでもしてやるから。だから、一人で泣く前に、おれを呼ぶんだぞ」
と約束させた。鈴は笑顔でうなずき、またおれにしがみついていた。


おれも鈴を抱きしめているととても落ち着く気がすると思った・・・。

 



苑上の日記23・望郷
at 2001 10/31 18:10 編集

今日は朝からなんだか沈んだ気持ちでした。
昨日、賀美野や兄上の書簡を読んだら、急になつかしくなって、会いたくてたまらなくなってしまったからです。

都を出るときはあわただしく、兄上にはお会いしないまま、賀美野ともあっさり別れてしまいましたが、もしかしたら、
もう二度と会えないのではということに今さら気づきました。それで悲しくなってしまったのです。

わたくしが沈んでいると、阿高がとても心配してくれました。
そして、とても優しく抱きしめてくれました。

抱きしめられていると、だんだん悲しさがやわらいできて、いつかきっとまた賀美野や兄上にも会えると思えました。

阿高の体は温かくて、わたくしは抱きしめられるといつもすごく安心な気持ちになります。
わたくしがそう言うと、阿高はいつでもしてやるから一人で泣くなと言ってくれました。

阿高がいれば何もかも大丈夫な気がします。
阿高がいてくれてよかったです。 







TOPへ戻る  続きを読む