あたその日記



阿高の日記 酒宴



高が山から引っこ抜いてきて庭に植えた桜が、ついに花盛りを迎えた。
花盛りと言っても、小さな木なので、数えるほどしか花がついていないのだが、
豊高は自分が植えた桜を「鈴の桜」だと言って、必ず花見をするように言い残して
お役目に戻って行った。

豊高本人はみんなと一緒に花見をしたかったようだが、豊高の仕事の休暇と
桜の開花時期が合わなかったため、ずいぶん残念そうな顔をして屋形を出て
行ったのがつい5日前だ。

そして、今日、ついに全ての花が開花したのだった。

「阿高、やるんだろ」
「まあ、豊高兄にあそこまで言われたらやるしかないだろう。親父様もいいと
言っていたし」
藤太と阿高は酒の準備をしていた。
親父様から特別に分けてもらった秘蔵の酒だ。

鈴と千種は、つまみの干し芋と大根の漬物を持ってやってきた。

ちんまりと庭の隅に植えられた、10輪に満たない小さな桜の花を4人で囲んで座る。
見上げれば、丸い月が出ている。
満月ほど丸くない、十六夜の月だ。

「たまにはこういうのもいかもな」
藤太が笑った。
「豊高兄が鈴のために桜を引っこ抜いてきたんだから、次はおれが千種のために
梅の木でも引っこ抜いてこようかな」
「いいえ、けっこうよ。私は鈴ちゃんの桜を眺められれば十分」
千種も笑っている。

干し芋をかじりながら、みなで酒を飲んだ。
祭り用の酒の残りで、貴重な酒だ。

「鈴も飲むか?」
酒を飲まずに干し芋だけをかじっていた鈴に、藤太が言った。
「祭りのときも、千種は飲んでいたのに、鈴はぜんぜん飲んでいなかっただろう。
武蔵の酒はうまいんだから、飲まないと損だぞ?」
そういって、鈴に杯を差し出す。
「藤太」
おれは藤太の腕を押さえた。
「鈴は酒に弱いらしいんだ。飲まなくたってかまわないだろう」
「そうなのか?それならまあ・・・」
「いいえ、飲ませて」
杯を引っ込めようとした藤太の手を、鈴がつかんだ。
「わたくしにも飲ませて。一度くらい、武蔵のお酒を飲んでみたいもの」
鈴は真剣な表情だ。
「本当に大丈夫か?」
おれが尋ねると、鈴はこくんとうなずいた。

藤太から杯を受け取り、少しだけ注いでもらった酒を、鈴はゆっくり口にふくんだ。
その表情は、毒見でもするかのように真剣だ。
「鈴、無理しなくてもいいんだからな」
「大丈夫」
鈴は、少しずつ少しずつ、酒を口にふくみ、ついに飲み干した。
飲み干したといっても、普通の男なら一口にも満たない量だ。

「・・・涼やかなお酒ね」
鈴が微笑んだ。
「そうだろう」
藤太がうれしそうに笑った。
藤太は酒が好きなのだ。
阿高も飲むのは嫌いではないのだが、藤太ほどではなかった。


酒を飲んでも、鈴は平然としているように見えた。
だが、異変はすぐに現れた。
鈴の顔が尋常ではないほど真っ赤になってしまったのだ。
顔だけではない、首も手も、どこもかしこも真っ赤だ。

「鈴、大丈夫か!」
阿高は驚いて声をかけると、鈴はきょとんとしてうなずいた。
「どうしたの?ちょっと暑いけれど、大丈夫よ」
「気分は悪くないか?」
「ええ、悪くないわ。少し顔が火照る感じがするけれど」
「それはそうだろう。かなり赤くなっているからな」
「えっ、わたくし、そんなに真っ赤になっている?」
鈴はあわてたように、手をほおにあてた。

「それよりも、本当に気分は悪くないのか?」
「ええ、それは大丈夫よ。ただ、なんだか眠くなってきたかも。
ごめんなさい、阿高。少し休ませて・・・」
そう言って、鈴は体を横にした。
そして、あぐらをかいている阿高のふとももにに頭を乗せた。
「鈴、こんな地面で寝たら体にさわるだろう」
阿高は鈴を少しゆすってみたが、鈴は返事をせずに目を閉じていた。

「しばらく寝かせておいてやれよ」
黙って阿高と鈴のやりとりを見守っていた藤太が言った。
「酒にとことん弱い奴の典型だ。顔が赤くなって眠くなるんだ。大丈夫、あれだけの
量しか飲んでいないのだから、体調を崩していることはまずないよ。少し休ませて
やれば酒が抜けるだろう。無理に飲ませてしまって悪かったな」
「これ、お水。鈴ちゃんが起きたら飲ませてあげて」
いつのまにか千種は木の椀に冷たい水を汲んできており、椀を桜の木の横に置いた。

「じゃあ、おれたちは先に退散させていただくよ。後はごゆっくり」
藤太は笑うと、千種の肩を抱いて、自分たちの離れへ戻って行った。


鈴と二人きりになって、阿高は自分のひざの上の鈴を見た。
鈴はすやすやと眠っていた。
目にかかってしまっている前髪を、指でかきあげてやる。
鈴の形の良い額が愛しくて、阿高は微笑んで、鈴の額にひとつくちづけた。

鈴のほおはまだ赤いが、首や手は先ほどよりは赤みがとれて、普通の色に戻り
つつある。
阿高はほっとして、顔を上げた。
目の前には小さな桜が咲いている。
淡い紅色の小さな桜のはなびらは可憐で美しく、鈴に似合うと言った豊高の言葉も
うなずけた。

この桜は、これからも毎年花を咲かせるのだろう。
そして、そのたびに、阿高は鈴と花見をするのだろう。
何回も、何十回も。これからもずっと。
いつか死が二人を分かつまで。ずっと。

何十年も先のことを想像してみる。
老人になっても、自分と鈴はきっと花見をしている。
この桜の木はもっと大きな木になっていて。
そして、年老いても鈴は今のようににこにこと笑っているに違いない。


「・・・阿高?」
阿高のひざに頭をのせていた鈴が目を覚ました。
一瞬ぼんやりと視線をさまよわせた後、鈴はあわてたように起き上がった。
「ごめんなさい、わたくし寝てしまって・・・足がしびれたのではない?」
鈴は心配そうに阿高の顔をのぞきこむ。

いつもより若干赤みの増した、鈴の小さな桜色のくちびるに、阿高は黙ってくちづけた。
鈴は二回ほどゆっくりまばたきをして、それから目を閉じた。

阿高が顔を離すと、鈴はにこっと笑った。
鈴と目を見交わし、阿高も微笑んだ。

鈴は空を振り仰ぎ、月と桜を交互に見た。
「あまり見たことがなかったけれど、月と桜の組み合わせは美しいのね。とてもきれい」
「そうだな」
「また来年も一緒に見ましょう。この桜と月と。ね?」
「ああ」
阿高はうなずいて、鈴を抱きしめた。

これからも続いていく鈴との毎日。
鈴とずっとずっと一緒に生きていける。
この桜が、そんな毎日の証のような気がした。

そんな、めまいがするほど幸せなこれからを思い描き、阿高はもう一度ゆっくりと
うなずいた。


(終)


        *           *


ひい、なんだろう、甘甘強化月間ですか?(自分につっこみ)
「お花見」にひきつづき、またあまーいものを書いてしまいました(汗)
春のせいでしょうか、桜大好きなので、この季節はどうしてもらぶらぶが
書きたくなるようです(笑)

「酒宴」は、6万ヒットキリ番を踏んでくださった鼎さんのリクエストで
書かせていただきました。
遅くなってしまいまして、申し訳ありませんでした。

「籐太が苑上にお酒を飲ませ、阿高がどきどき。(賑やか&しっとり)」
というご希望だったのですが、「阿高がどきどき」が、別の意味でのどきどきに
なってしまいました。
(苑上の体調を心配してどきどき・・・)
申し訳ありません。

私自身、お酒はすごく弱いので、苑上がお酒に強いとか酔っ払うというのが
うまく想像できず、お酒に弱い設定にしてしまいました。
実は意外と酒豪かなとも思うのですが(笑)

桜と月は、私が大好きな組み合わせです。
水野克比古さんの「京都桜名所」という写真集の中の、円山公園の桜が理想です。
子どものころに美術館で夜桜に満月という美しい絵を見て以来、それが頭から
離れないようです。

薄紅天女の作中に桜の花は出てきていませんが、やはり春は
薄紅テンションが高まります!

駄文を読んでくださってありがとうございました!

そして、鼎さん、キリリクをありがとうございました!!

2006.03.31









あたその日記ページへ戻る



あたそのやメインページへ