あたその日記



番外 都からの旅立ち


「鈴。すごくきれいだよ。しかし、その格好は・・・なあ・・・」
藤太は苑上を見て苦笑した。
こんな緊急時でも女性へのほめ言葉を忘れないのが、藤太らしいといえばそう
なのかもしれなかった。
「たしかに・・・」
広梨も困ったように目を細めた。

阿高の腕に抱えられた苑上は、きらびやかな内親王以外の何者にも見えないと
彼らは言った。

苑上も自分の着物を見下ろし、藤太がそういうのも無理はないのかもしれないと
思った。
兄とは言え、皇太子に会うときにはいつもより上等な衣装を身に着けなくてはなら
なかったのだ。

だが、苑上は微笑んで、大事に抱えてきた包みを開いた。

それは、苑上が鈴鹿丸になっていたときに着ていた着物だった。
田村麻呂の家の者がきれいに洗って返してくれたのだが、苑上がさんざん転んで
泥だらけにしたせいで、その着物はもう貴族のものとは見えないほどみすぼらしく
なってしまっていた。

だが、その着物を苑上は大切にとっておいたのだ。

それは、苑上が鈴鹿丸になったことの証。
そして、なにより、阿高や藤太たちと一緒に過ごした大切な思い出があったから。

阿高たちと別れた後、悲しいときもさびしいときも、この着物を見れば心がなぐさめ
られた。
思い出があればきっと生きていけると、そう信じていた。



でも、阿高は迎えにきてくれた。


「この着物をもう一度着る日がくるなんて、夢にも思わなかったのに」
苑上はそう言って微笑んだ。

そして、さっさと木陰に入ると、鈴鹿丸の着物に着替えた。
単の着物はそのままなので、苑上はたいしてはずかしいとも思わなかったが、阿高
たちを驚かせるには十分だったらしい。
苑上が着替え終えて、髪を結いながら木陰から出ると、赤い顔をして3人が待っていた。

「よし、行くか」
まっさきに阿高が笑顔になった。
阿高が苑上に手を差し出す。
「ええ」
その手を、苑上は迷いなくとった。

この人についていく。

その思いに揺らぎはなかった。

「藤太、広。何をぼんやりしているんだ。行くぞ」
もう駆け出そうとしていた阿高が、ついてこない仲間二人に気づき、後ろを振り返った。
その顔は満面の笑みに満ちている。
つられて苑上も振り返った。



そんな苑上たちを不思議そうに見ていた藤太と広梨が、顔を見合わせて笑った。
「おれ、なんだか、鈴がいるのが当たり前の気がしてきたよ」
「やっぱり阿高は鈴と一緒にいるのがいい」
藤太と広梨はおかしそうに笑った。
そして、手を取り合って走る阿高と苑上を追って、勢いよく駆け出した。




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